レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/03/14
- 登録日時
- 2017/11/17 00:30
- 更新日時
- 2017/11/30 17:12
- 管理番号
- HC-17031432
- 質問
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解決
八王子城跡について知りたい。
- 回答
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『八王子事典』(2001年 かたくら書店)p.689-690「八王子城跡」の項に、「元八王子町3丁目と下恩方町・西寺町にまたがる戦国期の山城跡で後北条氏最大の支城跡.国指定史跡.北条氏照が築城し、小田原城の支城として後北条氏の支城網のなかでも重要な位置を占めていた.築城の時期については諸説があり、1572年(元亀3)ころ、1578年(天正6)ころ、1590年(天正18)の落城に近いころが考えられている.1590年豊臣秀吉勢の攻撃により落城した.大規模な城構えで、石塁、堀切などが残り、東麓には御主殿跡と呼ばれる削平地があった.1986年(昭和61)から行われた発掘によって大手門からの表口石畳み道と居館の一部などの遺構が発見された.同城の城下町は現在の元八王子町1~3丁目のほぼ全域に及ぶと推定されている.」と記載されています。
『多摩の古城址』(1995年 京王帝都電鉄)のp.16-19「八王子城跡」にも同様の記載があるほか、「八王子城跡遠景」の写真も掲載されています。
『新八王子市史 通史編2』(2016年 八王子市市史編集委員会)には、p.480-511「第7章第1節 八王子城とその城下町」に、八王子城築城の歩みや八王子城の縄張りと構造等について詳しく記載され、口絵20には「武州八王寺古城図」が掲載されています。p.483-484「八王子城築城の背景」には、「八王子城の場所は、滝山城にくらべて居城を甲斐国境に近づける意図から選ばれたようにみえる。(中略)氏康が恐れたのは、武田軍が小仏峠や和田峠を越えて八王子地区に侵攻してくることであった。実際その頃信玄は伊豆の三島(静岡県三島市)と「大石源三(北条氏照)在所滝山」の二か所に向けて軍勢を派遣し、北条領へ侵攻しようと考えていた(編年596)。氏康が得た情報は確かなものだったのである。しかし、そのときの出兵はなく、その後、信玄は九月中旬になって碓氷峠を越え、上野(こうずけ)から武蔵に入り、鉢形城(埼玉県寄居町)を攻めた後、滝山城に襲来した。氏照自身が防戦につとめて武田軍を退けたが、このとき武田軍は小田原への進軍を急いでおり、滝山城を落城させることを目標にしていたわけではなかったので、攻撃は短時日に終わり、武田軍は小田原に向かった。落城の危機に陥ったわけではなかったとはいえ、城際まで容易に攻め込まれたことは確かである。このときの経験が、後に八王子城を築く背景になっていると考えられる。」と記載されています。
『歴史と浪漫の散歩道』(2006年 八王子市教育委員会)にも、p.61-64「八王子城跡」、p.65-66「八王子城跡御主殿跡」の項に同様の記載があるほか、写真も多数掲載されています。
『多摩のあゆみ 155号』(2014年 たましん地域文化財団)には、村山修氏の特集記事「八王子城跡御主殿の池」が掲載され、p.18-19に「天正18年(1590)6月23日豊臣秀吉の関東侵攻の際、豊臣軍の一部を任され関東を北から攻略してきた前田利家・上杉景勝などの北国勢や豊臣軍に降伏した武将などの圧倒的な数による攻撃によって一日で城が落とされました。山の地形を利用して曲輪(くるわ)や石垣、堀切などが巧みに配され堅固な城といわれた八王子城でした。しかし城主氏照は主だった武将や兵とともに北条氏本拠地である小田原城に詰めており、城に残った兵は氏照に古くから仕えていた家臣、城周辺の村から集められた農民や僧、神官などが中心で、城の防御を活かすことができずに落城したともいわれています。落城後の八王子城は、攻め落とした豊臣軍や北条氏滅亡後関東に入った徳川家康などによる城の再建は行われず、江戸時代は幕府の御林として管理されていました。」との記述があり、八王子城の落城と落城後の様子がわかります。
また、インターネットでは、国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286352?tocOpened=1 最終アクセス日:2017.11.16)に、「〔日本古城絵図〕東海道之部(5). 88 武州八王子古城図」が公開されています。
八王子市図書館ホームページでは「こどもレファレンスシート(北条氏照と八王子城)」(https://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/pdf/001.pdf 最終アクセス日:2017.11.16)を公開し、八王子城の名前の由来や発掘品から見た大名のくらし等についても簡単に紹介しています。
八王子市公式ホームページ(http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/003/001/001/p005254.html 最終確認日2017.11.16)には国指定史跡として掲載され、築城から落城、城の構造と特徴等についての説明があり、平成18年4月に「日本100名城」に選定されたことや、平成24年10月にオープンした八王子城の歴史や意義などを、初めて訪れた方にもわかりやすく解説する「八王子城跡ガイダンス施設」についても紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- B11716715 八王子事典 八王子事典の会/編 かたくら書店 2001.1 4-90623-778-9
- B11705091 多摩の古城址 京王帝都電鉄/[編] 京王帝都電鉄 1995.3
- B12680842 新八王子市史 通史編 2 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2016.3 213.65
- B11958365 歴史と浪漫の散歩道 八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課/編 八王子市教育委員会 2006.1
- B12459109 多摩のあゆみ 155号 たましん歴史・美術館 歴史資料室/編集 たましん地域文化財団 2014.8
- B11720804 八王子こどもレファレンスシート 八王子市中央図書館/編 八王子市中央図書館 2002
- 国立国会図書館デジタルコレクション〔日本古城絵図〕東海道之部(5). 88 武州八王子古城図 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286352?tocOpened=1 2017.11.16
- 八王子市図書館ホームページ(こどもレファレンスシート「北条氏照と八王子城」) https://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/pdf/001.pdf 2017.11.16
- 八王子市公式ホームページ「八王子城跡」 http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p005201.html 2017.11.16
- キーワード
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- 八王子城
- 史跡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000225100