レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年7月15日
- 登録日時
- 2019/05/09 10:03
- 更新日時
- 2019/07/04 10:35
- 管理番号
- 6000002742
- 質問
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津門神社の縁起が知りたい。
- 回答
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津門神社とは、西宮市津門西口町にある神社である。縁起については諸説あった。
資料1. 『兵庫県の地名 1」平凡社 1999年
「津門神社」の項目に「昌林寺の西隣に鎮座し、天照大神を祀る。旧村社。もと西方の松原神社付近にあったが、宝暦四年(一七五四)に現在地へ移祀したと伝えている。しかし文化三年(一八〇六)の山崎通分間延絵図には昌林寺の東方に天満宮と稲荷神社が描かれており、この天満宮が津門神社と思われる。現祭神は明治二五年(一八九二)に伊勢神宮より勧請したものであるが、古くは木造毘沙門天立像を神体とし、脇神として木造弁財天座像を祀っており、神仏習合的慣習を残した神社であった。」(P269~270)
資料2.『西宮地名考 地名から見た西宮の歴史』田岡香逸/著 1970年(P59)
津門神社は、もとは松原天神にあった古社であり、津門首が天照大神を祭神とした旨の記述あり。
資料3.津門神社には、由緒についての説明版があり、同内容が兵庫県神社庁のホームページ(http://hyogo-jinjacho.com/data/6302009.html 2018年10月24日確認)からも確認できる(資料3)が、この由緒が記載されている資料はなかった。
「津門神社の発祥は六甲山脈を背に務古の里にあり。務古の里は古来、自然の良港で津登、津奴、津門との名称がある。大昔は京都方面より山陽四国地方へ渡る人、上方へ上る人で舟の出入りも繁しく津の国唯一の良港であった。港の東南にに津奴の塩浜があり、北には津登。東には津門の里があり岡一体に老松が繁茂し務古又は津登の松原として万葉の古歌にもある通り有名である。古跡として今も残されて居る稜羽、呉羽姫が百済の国より渡来、我が国に始めて機織又は染物などを教えた地にて、彼等が外来渡来の神(大日如来)を勧請し創立したと云われている。(後略)」
- 回答プロセス
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分類175(神社)からは見つけられず、地名より検索した。
以下の資料には記載なし。
「ひょうご社寺巡礼」2012年 神戸新聞社・編 神戸新聞総合出版センター発行
「杜を訪ねて ひょうごの神社とお寺」1989年 神戸新聞文化部・編 神戸新聞総合出版センター発行
「社寺縁起伝説辞典」2009年 志村有弘・編 戎光出版
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 兵庫県の地名 1 平凡社 1999年 (P269~270)
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田岡 香逸 著 , 田岡‖香逸. 西宮地名考 : 地名から見た西宮の歴史. 民俗文化研究会, 1970. (甲陽文庫ノート)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046375103-00 (P59~60)
- キーワード
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- 津門神社(つとじんじゃ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000255848