レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年1月12日
- 登録日時
- 2017/01/12 17:14
- 更新日時
- 2017/07/28 15:21
- 管理番号
- 塩尻348
- 質問
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解決
長野県が教育県と言われるようになったのはいつ頃か?なぜ教育県といわれるのか?
- 回答
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【資料1】P316~P320 教育県長野と信州教育についての記述あり。『近代教育制度は、明治五(1872)年八月の「学制」で定められ、それにもとづく小学校の設立は、筑摩・長野両県とも六年五月からはじまった』
【資料2】P152 長野県が「教育県」とよばれるわけは?の回答に記述あり。『幕末の信州には千三百四十一か所の寺子屋があり、その普及率は日本一であった』
【資料3】p128 「やはり全国一だった寺子屋数」に記述あり『文部省が明治十六年(1883)「寺子屋調査報告」をもとめ、全国で一万五五六〇の数を得た。そのうち長野県分は一三四一で、全国第一となっている。このことからも、山国信州の近世に庶民教育が普及していたことが知られ、これが明治以降の信州教育のもととなっている。』
p190「明治初期にも教育熱心の信州」の記述あり 『明治八年(1875年)「筑摩県」と旧「長野県」の就学率は、それぞれ七二パーセントと五九パーセントとであった。同年の全国平均は三五パーセントであったから、かなり高率であった。九年の筑摩・長野両県の合県時の就学率は六三パーセントで全国一位、10年は二位、以下11年の四位、12年の三位、14年2位とつづく。』
【資料4】p210~p212「教育県長野」と「信州教育」違いについて記述あり。
- 回答プロセス
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郷土資料の棚をブラウジング。長野県の歴史、教育について書かれた資料を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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【資料1】古川貞雄 [ほか]著 , 古川, 貞雄, 1931-. 長野県の歴史. 山川出版社, 1997. (県史 ; 20)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002582245-00 , ISBN 4634322005 -
【資料2】山本博文 監修 , 山本, 博文, 1957-. あなたの知らない長野県の歴史. 洋泉社, 2014. (歴史新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025102599-00 , ISBN 9784800303028 -
【資料3】小林計一郎 編 , 小林, 計一郎, 1919-2009. 郷土史事典長野県. 昌平社, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001405076-00 -
【資料4】角憲和 編著 , 角, 憲和, 1947-. ほんとうの信州 : c. 岳風書房, 2003.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004199503-00 , ISBN 4907755090
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【資料1】古川貞雄 [ほか]著 , 古川, 貞雄, 1931-. 長野県の歴史. 山川出版社, 1997. (県史 ; 20)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000206252