レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/11/19
- 登録日時
- 2016/05/12 00:30
- 更新日時
- 2016/05/13 10:08
- 管理番号
- 横浜市中央2458
- 質問
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解決
幕末明治期に横浜市にあった写真館「相影楼」の読みを知りたい。
- 回答
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写真館「相影楼」の読みについて記載があった資料をご紹介します。
なお、どちらの資料にも読みの根拠については明記されていませんでした。
1 『幕末明治横浜写真館物語』
斎藤多喜夫/著 吉川弘文館 2004年
p.140に掲載されている写真「図19 下岡蓮杖の馬車道の写真館」の解説として、
p.139に“太田町に建築した家屋とは、庇の上に富士山をかたどった看板や
「相影楼」「全楽堂」の額のかかった角店の写真で有名な馬車道の写真館のことである”とあり、
「相影楼」には「そうえいろう」とルビがふられています。
2 『下岡蓮杖 日本写真の開拓者』
東京都写真美術館/監修 国書刊行会 2014年
p.20に、下岡蓮杖が明治元年(1868)、馬車道通り太田町角駒形橋の橋詰に
写真館を開業したことが書かれ、2階の軒先の看板の右に「相影楼」の額を掲げたとあります。
本書は英訳がついており、「相影楼」の対訳部分は“Soeiro.”と記載されています。
※“Soeiro.”の「o」はどちらも長音符(上部の横棒)がついています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 写真 (740 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000192105