レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年12月28日
- 登録日時
- 2018/01/03 10:54
- 更新日時
- 2018/01/03 10:56
- 管理番号
- いわき総合-地域531
- 質問
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解決
奥羽出張病院について知りたい。資料や写真などあれば教えてほしい。
また、奥羽出張病院は、その後、平大病院、磐前県病院に引き継がれているようだが、この経緯がわかる資料も教えてほしい。
- 回答
-
①奥羽出張病院について
戊辰戦争で政府軍の野戦病院として開設されたのが「奥羽出張病院」です。
はじめ平潟(茨城県北茨城市)に開設しましたが、戦線の移動に伴い、平長橋町の性源寺に移りました。
おおまかな経過としては、以下のとおりです。
・慶應4(明治元)年6月8日
関寛斎が、奥羽出張病院頭取に任命される。
・同年6月17日
平潟の地福院海得寺に奥羽出張病院開設。
・同年7月13日
磐城平城落城
・同年7月22日~
小名浜へ移転し、立花見龍宅他十軒余の旅宿に分宿。
・同年7月27日
平長橋町の性源寺に奥羽出張病院開設。
・同年9月4日
大村益次郎から「平大病院」と呼称するよう命令。
・同年10月25日
病院の引揚げ開始。
・同年11月8日
東京到着。野戦病院としての役割は終了。
なお、奥羽出張病院について詳しくは、次の資料をご覧ください。
【資料①】『関寛斎 奥羽出張病院日記 解読本』(関内幸介 2016)
【資料②】『奥羽出張病院で使われた医学書』(小野浩 2017) 奥羽出張病院の経過について、わかりやすくまとめられている。
【資料③】「関寛斎と磐城‐奥羽出張病院‐」(関内幸介)(『うえいぶ 第44号』所収」)
【資料④】「陸別にて‐関寛斎没後百年に際して‐」(関内幸介)(『うえいぶ 第46号』所収」)
【資料⑤】「奥羽出張病院の日々‐奥羽出張病院日記および外院平病人記録から‐」(関内幸介)(『潮流 第42報』所収」)
【資料⑥】「「奥羽出張病院日記」の研究」(佐久間温巳)(『医譚 復刊第53号』所収)※国立国会図書館デジタル化資料送信サービスで閲覧可
②平大病院について
【資料③】「関寛斎と磐城‐奥羽出張病院‐」(関内幸介)(『うえいぶ 第44号』所収」)P48に、「(慶應4(明治元)年9月)四日、大村益次郎から「平大病院」と呼称するやう命令。」とありました。
以上より、奥羽出張病院から平大病院へ名称が変更となったことがわかります。
③磐前県病院について
磐前県病院は、いわき地方最初の公立病院です。奥羽出張病院との関係は不明ですが、【資料⑦】『いわき市史 第6巻 文化』P139~140、【資料⑧】『福島県医師会史 正篇』(福島県医師会 1980)P20~29によると、次のとおりです。
・明治5(1872)年6月
平町一町目に磐前県病院創設。初代院長に山田忠夫が来任し、翌年には斎藤竜安が加わり、この2人が中心となって活動した。
・明治10(1877)年5月
須賀川出張平病院となる。
・明治12(1879)年10月
独立して福島県平病院となる。
・明治15(1882)年6月
廃院
- 回答プロセス
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1.資料を調査
上記回答のとおり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 9版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 9版)
- 日記.書簡.紀行 (915)
- 参考資料
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- 【資料①】『関寛斎 奥羽出張病院日記 解読本』[K/915.5/セキ・1114068081]
- 【資料②】『奥羽出張病院で使われた医学書』[K/210.5-1/オ・1114081605]
- 【資料③】『うえいぶ 第44号』[K/051/ウ-44・1114600701]
- 【資料④】『うえいぶ 第46号』[K/051/ウ-46・1114620733]
- 【資料⑤】『潮流 第42報』[K/051/チ-42・1114429614]
- 【資料⑥】『医譚 復刊第53号』[国立国会図書館デジタル化資料送信サービス 最終アクセス2017.12.28]
- 【資料⑦】『いわき市史 第6巻 文化』[K/210.1-1/イ・1110038559]
- 【資料⑧】『福島県医師会史 正篇』[K/490/フ・1110069588]
- キーワード
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- 奥羽出張病院 おううしゅっちょうびょういん
- 平大病院 たいらだいびょういん
- 磐前県病院 いわさきけんびょういん
- 関寛斎 せきかんさい
- 戊辰戦争
- 性源寺 しょうげんじ
- いわき 病院史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000227879