レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月24日
- 登録日時
- 2021/01/14 09:48
- 更新日時
- 2021/01/14 10:54
- 管理番号
- 京歴-530
- 質問
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解決
東寺の弘法市の始まりについて知りたい。また、市のにぎわいがわかる写真、絵図、文章なども見たい。
- 回答
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『東寺と弘法大師信仰:東寺御影堂誓いと祈りの風景』(①)pp.125-130「東寺と「弘法さん」-にぎわいを生み出す都市空間-」の中に、弘法市のにぎわいや、その起源に関する記述がある。
p.125「東寺の縁日の成り立ち」によると、東寺の縁日は、空海入寂の3月21日を期して、毎月21日に行われる御影供(みえく・みえいく)を指す。この日に参詣すると大きな功徳があるとされるため、人々が盛んに参詣に訪れるようになり、境内・参道、その周辺に市が立つようになった。縁日自体はその起源を室町時代に求めることができ、「一服一銭」という茶を売る屋台があったことは記録に残っているものの、現在の弘法市の形態が文献に見られるのは江戸時代以降としている。
p.86「東寺の年中行事」の毎月21日「弘法市(弘法さん)」の項に、「江戸時代からはじまったとされる市で、毎月21日の御影供の参拝者を対象とする出店であった」との記述がある。
『総合資料館だより』(②)No.158(2009.1.1)に掲載の記事「東寺門前の風景(4)」の記述より、『都林泉名勝図会,第1巻』(③)に御影供の様子を描いた絵図が掲載されていることがわかった。
②は京都府立総合資料館(当館の前身)のHP、③は当館の資料・デジタル画像検索システム「京の記憶アーカイブ」で公開している。
②『総合資料館だより』公開ページ
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/dayori.html (最終確認日:2020-11-06.)
③『都林泉名勝図会,第1巻』の「御影供」掲載ページ(分冊番号:2、コマ番号:32)
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000227#1-8 (最終確認日:2020-11-06.)
『洛西(朝日旅の百科 京都;4)』(④)のp.93に写真あり。
『昭和の京都:回想昭和20~40年代』(⑤)のpp.112-113に弘法市の写真あり。
『京都大事典』(⑥)p.471「終い弘法」の項と、『東寺(古寺巡礼京都)』(⑦)p.39に終い弘法のにぎわいの様子を写した写真が載っている。
- 回答プロセス
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以前、当館のミニコーナーで弘法市を取り上げていたため、その参考文献であった『東寺と弘法大師信仰:東寺御影堂誓いと祈りの風景』(①)を調べた。
①に、弘法市の起源を東寺の御影供とする記述があったため、御影供について調べた。
「京の記憶アーカイブ」の「京都雑誌記事論文等」検索画面で「御影供」を検索すると、『資料館だより』No.158(②)の記事に「東寺門前の風景(4)」があることがわかったので確認した。
京都府・京都市の地誌・歴史についての本が並んだ棚を調べ、④~⑥に関連する情報が載っているのを見つけた。
東寺に関する資料を調べ、⑦に関連する情報が掲載されているのを見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185)
- 参考資料
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- ①『東寺と弘法大師信仰:東寺御影堂誓いと祈りの風景』東寺(教王護国寺)宝物館編 東寺(教王護国寺)宝物館 2001 (当館請求記号:K152||702.17||To27||)
- ②『総合資料館だより』京都府立総合資料館編 京都府立総合資料館 (当館請求記号:||ソウコ||K)
- ③『都林泉名勝図会,第1巻』秋里籬島湘夕[著] 小川多左衞門 寛政11[1799] (当館請求記号:和||992||38||1-2)
- ④『洛西(朝日旅の百科 京都;4)』朝日新聞社 1978 (当館請求記号:K1||291.62||A82||4)
- ⑤『昭和の京都:回想昭和20~40年代』浅野喜市写真 光村推古書院 2010 (当館請求記号:K1||216.206||A87||)
- ⑥『京都大事典』佐和隆研[ほか]編集 淡交社 1984 (当館請求記号:K0||291.62||Ky6||)
- ⑦『東寺,新版(古寺巡礼京都;1)』砂原秀遍著,梅原猛著 淡交社 2006 (当館請求記号:K1||185.916||Ko39||1)
- キーワード
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- 弘法市
- 御影供
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292337