レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/4/1
- 登録日時
- 2019/12/22 00:30
- 更新日時
- 2019/12/23 10:17
- 管理番号
- 葛中-2019057
- 質問
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解決
柴又帝釈天の縁日は、なぜ「庚申の日」と決まっているのですか。説明が書いてある資料はありますか。
- 回答
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絵本『柴又帝釈天』などに、詳しい説明が載っています。1779(安永8)年、帝釈天の本堂改築の際に、長い間行方が分からなくなっていた、本尊である帝釈天像の板木が発見されました。発見されたのが庚申の日だったことから、60日に一度の庚申の日が帝釈天の縁日になったそうです。
また、当時盛んだった「庚申待ち」(庚申の日に夜通し眠らない風習)と結びついて、庚申の日には人々が帝釈天まで夜に参詣する「宵庚申」が、盛んに行われたということです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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1 『柴又帝釈天』小西正保/作 斉藤博之/絵 望月日翔/監修 水書坊 1986
絵本。全体にわたって詳細が掲載されている。
2 『葛飾柴又展(開館記念展)』 葛飾区郷土と天文の博物館/編 1991,p26
3 『葛飾区史跡散歩(東京史跡ガイド 22)』入本英太郎著 橋本直子著 学生社 1993,p59
4 『「お寺と仏像」おもしろ小事典-仏教の基本知識から拝観・鑑賞のポイントまで-』 瓜生中著 PHPエディターズ・グループ 2009,p199
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1 『柴又帝釈天』小西正保/作 斉藤博之/絵 望月日翔/監修 水書坊 1986
- キーワード
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- 葛飾区,帝釈天,庚申,題経寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000271136