墓は移転していない。千住と両国の両方にあり、両国のものは明治時代に建てられた供養墓。
1 盗賊「鼠小僧次郎吉」について
資料1:「鼠小僧次郎吉」の項目あり。江戸後期の盗賊。天保3(1832)年8月19日、市中引廻しの上、鈴が森で獄門になった(37歳)。鼠小僧は世上の異名。
2 「鼠小僧次郎吉」の墓について
資料2:「墨田区」に「鼠小僧次郎吉の墓(両国2-8 回向院)」の項目があり、「墓は石塔群の中にあるが、墓は南千住回向院にもある。」(p.220)とあり、両国にある墓石の写真が掲載されている。
資料3:「鼠小僧次郎吉 寛政7年(1795)~天保3年(1832)」の項目、墓石の写真あり。説明文中に「墓は回向院(南千住)にもある。」とあり。
3 回向院(墨田区両国2-10)と[小塚原]回向院(荒川区南千住2-1)の関係について
資料4:「回向院」の項(p.152)、説明文中に「寛文7年(1667)には、千住宿の北端小塚原のちかくに別院が造立された。」とあり。
資料5:「小塚原刑場跡」(p.56)、「小塚原回向院」(p.59)の項より、本所回向院に埋葬の余地がなくなったため、寛文7年、子院別寮として小塚原縄手の地を賜った、とあり。
資料6:「回向院小史」のうち、「回向院略年譜」(p.12)、寛文7年(1667)に、「小塚原の御仕置場の傍らに寺領地を拝領。斬罪者を葬る」とあり。
4 それぞれの墓について
(1)回向院(墨田区両国)
資料6:「回向院小史」に墓の写真(p.14)あり。境内の墓の位置は、裏表紙右の「境内案内図」でわかる。
資料7:「回向院」(p.21-)の項目のうち、「供養等と墓碑」に「16 鼠小僧次郎吉の墓」(p.23)あり。解説文に「ここの墓は、市川団升が狂言大あたりのお礼に、明治9年(1876)供養墓として建てたもの」とあり。「回向院石碑等配置図」(p.22)で墓の位置がわかる。
資料8によると、墓の碑文は「教覚速善居士」「俗名中村次郎吉之墓」(正面)(p.82)
(2)[小塚原]回向院(荒川区南千住)
資料5:「小塚原回向院」の項のうち、「鼠小僧の墓」(p.62)あり。「法名「源達信士」とあり、台座に「子ツミ小僧」と彫ってある」とあり。
資料8によると、墓の碑文は「源達信士/俗名鼠小僧」(正面)(p.77)
また、鼠小僧の墓石を削ったかけらにご利益があるとされ、それ用の墓石をたてているのは、両国の回向院の方である。
墓石のご利益について:資料1 p.217、資料7 p.23
回向院ホームページ:
http://www.ekoin.or.jp/トップ>名所案内>鼠小僧次郎吉の墓(最終検索日:2021.2.12)