調査の過程で、法会の呼び方について、「神忌」という名称の情報を得られました。江戸時代の大きな祭祀については、『社家御番所日記』、『徳川実記』といった、公的な性格を持つ当時の記録を辿って確認することが可能です。
調査の結果、二百回神忌の次第について記述のある資料を確認できましたが、百五十回神忌の次第及び、百五十回、二百回の参加者の一覧については確認できませんでした。
1 法会の概要について
次の資料に関連情報を確認しました。
・『東照宮史』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1927)
「第6章 祭儀」に「神忌」の項があります。(p.185-221)
本文中で、歴年の神忌のうち主要な会を取り上げ、概要を記しています。
第百五十回神忌、第二百回神忌については、「何れも将軍の社参はありませんでしたけれど、大體に於て第三十三回神忌に則つて一切の儀式を行いました。」(p.187)とあります。
また、〔註五〕として、第一回神忌以下の奉幣使、贈經使の交名が記されており、第百五十回、第二百回ともに記されています。(p.219)
・『日光史』(星野理一郎/著 「日光史」特別領布会 1977)
「第六篇 江戸幕府時代」に「(ヘ)御神忌」の項があります。(p.99-104)
歴年の神忌のうち主要な会を取り上げ、概要を記しています。
「百五十回忌、明和二年四月。井伊掃部頭将軍の代拜、その他諸儀式大体前回に同じ。」「二百回忌、文化十二年四月。井伊掃部頭名代として代拜、その他諸儀式大体前回に同じ。」とあります。(p.102-103)
また、参加者についても一部記されており、「二百回忌の時の如きは、京都より参向の者二百五十人、幕府の任命せる役人二百八十人に及んだ」とあります。(p.103)
いずれの記述も出典情報はありません。
2 東照宮二百回神忌について
・『社家御番所日記 第16巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1976)
※東照宮社家御番所日記は貞享二年(一六八五)以降二百余年にわたって書き継がれた社務日誌です。
p.737-749「(附録) 二百回御神忌記事」の収録あり。
『徳川実紀』(国史大系所収)から、参加者の動向を示す部分が掲載されているほか、〔日光御神忌御法会次第〕として「東照宮二百回御神忌万部御法会次第」が掲載されています。
なお本文中の二百回神忌の期間の記録は、文化十二年四月の項(p.26-28)にあり。
3 東照宮百五十回神忌について
・『社家御番所日記 第10巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1970)
百五十回神忌の期間の記録は、明和二年四月の項(p.220-229)にあり。神忌の記録に関する附録はなし。
・『続国史大系 徳川実記 15』(経済雑誌社/編、発行 1904)
明和二年四月の項(p.183~185)に、参加者の動向を示す記述があります。(名簿ではありません。)
この他、調査の過程で以下の資料の情報を得ました。
・『東照宮百五十回神忌御用帳 明和二乙酉年正月』(書写者不明 1765)
京都府立京都学・歴彩館所蔵が所蔵している写本。当館未所蔵のため、次第収録の有無は不明。
次の資料はお調べしましたが、関連情報を確認できませんでした。
・『近世日光山史の研究』(秋本典夫/著 名著出版 1982)※文献目録あり
・『日光その歴史と宗教』(菅原信海/編,田邉三郎助/編 春秋社 2011)
・『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祀・組織』(山澤学/著 思文閣出版 2009)
・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
・竹末広美/著「家康御神忌における寺院参勤体制」(『鹿沼史林 第35号』(鹿沼史談会/編、発行 1995)p.1-26)