レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月01日
- 登録日時
- 2021/12/17 18:52
- 更新日時
- 2021/12/17 18:52
- 管理番号
- 市川20210601-4
- 質問
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解決
1923年の関東大震災の直後、南行徳村で、自警団によって日本人3人が殺害されている。この事件と関連する汽船の発着所について知りたい。
- 回答
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南行徳村の事件については、『市川の歴史を尋ねて』(市川市教育委員会 1988)p.226-227に、日本人が源心寺で自警団に虐殺され、後に境内に供養塔が建てられたとある。
また、『いわれなく殺された人びと』(青木書店 1983)p.170に、源心寺の碑の由来があり、「南行徳村一軒家の江戸川縁汽船発着所に上陸した3人の日本人が5日朝2時ころ、源心寺門内で(中略)虐殺された事件に対して建てられたもの」と事件の詳細が記述されている。
『新編・川蒸気通運丸物語』(山本鉱太郎/著 崙書房出版 2005)のp.60「通運丸航路表」(明治43年4月現在)から、「一軒家」という発着所の存在が確認できた。
また、『明治前期・昭和前期東京都市地図1東京東部』(柏書房 1995)p.83の地図(明治36年・明治42年測図より作成)から、現在の島尻付近に「一軒家」が確認できる。
『利根川勝地案内』(伊藤省三/編輯 伊藤省三 1918)には、「汽船航路略図」(巻頭)のほか、p.2に「一軒家寄航場」についての記述、「一軒家荷客扱所」の写真がある。
『行徳郷土史事典』(鈴木和明/著 文芸社 2003)p.276-278には、島尻地区を一軒家と呼んでいた等の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000309223