レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼熊-2015-171 | ||||
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事例作成日 (Creation date) | 2015年03月24日 | 登録日時 (Registration date) | 2016年01月28日 11時08分 | 更新日時 (Last update) | 2016年05月10日 18時46分 | ||
質問 (Question) | 熊谷のだるま市の由来が知りたい。 (1)現在、毎年2月7日に星川のあたりで行われているが、以前は別の場所で行われていたらしい。どの辺りだったのか、どうして移動したのか。 (2)以前(30年以上前)は、1月7日に行われていたという。どうして2月に変えたのか。 (3)市はお仮家(屋)で行っていたが、あるときは、うちわ祭の山車を代用したことがあったと言う。記録に残っているか。 | ||||||
回答 (Answer) | (1)(2)について次の資料に記述があった。(3)の記述は確認できなかった。 『熊谷市史 通史編』(熊谷市 1984) p775-776「熊谷とまつり (五)だるま市」の項 「もとは、中山道本町通りに開かれていたが、戦後は中山道が拡幅され、それに交通が激増したので危険となり、昭和29年以後星川端に移った。熊谷の「初市」といわれる2月7日には、数多くのだるま店が、星川の流れを背にして軒を並べる。2月7日を初市としたのは、宿場時代の六斉市の名残があるといわれている。すなわち、二、七の六斉市からすると、正月七日が初市ということで、これを新暦に振替えた結果であるという。なお、熊谷でのだるま市は1月15日の三ヶ尻龍泉寺の「よめご観音」同日の坪井東漸寺の「馬頭観音」に始まり、次いで2月7日の星川端、そして、3月15日玉井神社の「オビシヤ」まつりで終わるのである。」とあり。 また、移転時期については、別の説もあり。 『熊谷市史 別編1 民俗』(熊谷市 2014) p342 第七章 交通交易 第五節 市 三 だるま市 「2月7日に、以前は本町通り、昭和20年より星川通りでだるま市が立つ。妻沼聖天山でも正月の元日からだるま市が立つ。また、三ヶ尻の観音様(龍泉寺)では、正月の縁日(現在は成人の日)にだるま市が立つ。」とあり。 | ||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 熊谷市史関連資料を確認する。 『新編武蔵風土記稿 [第3期]第11巻 大日本地誌大系 17』(雄山閣 1977) p85「大里郡忍領熊谷町」の項「昔は毎月二七の日に市立て頗る賑しが、近年衰微して歳末にのみ市を立ると云」とあり。 『熊谷の歴史を彩る 史跡・文化財・人物』(熊谷市立熊谷図書館 2011) p46-47「熊谷宿と六斎市」に熊谷宿が宿場と六斎市によって栄えたという記述あり。六斎市については「熊谷の場合は二・七の日(二、七、一二、一七、 二二、二七の六回)に開かれましたが、これが定着したのは寛政年間(1800年ころ)からだったようです」とあり。 『熊谷市史 通史編』【前掲】 『熊谷市史 別編1 民俗』【前掲】 『新編 熊谷風土記稿』(日下部朝一郎著 国書刊行会 1978) p31-32「熊谷のダルマ市」に熊谷市内のダルマ市が複数日にわたるという『熊谷市史 通史編』と同様の記述あり、ただし日付が一部異なる。縁起や移転の経緯は、同様の記述あり。 『熊谷のあゆみ』(熊谷市史編纂委員会〔編〕 熊谷市役所 1952) p114「二月 初市 七日街では達摩市を開く。」 昭和27年当時、2月7日に初市(達摩市)が開かれていることが分かる。 2 星川以外の近隣だるま市について調べる。 『熊谷郷土会誌』(国書刊行会 1984) (「熊谷郷土会誌 7号」p82-83「玉井神社の「オビシヤ祭」) 「此の祭りは年一回三月十五日(以前は旧正月十五日)に行はれた祭事で、此の日は「だるま市」が立ち附近より「だるま」買ひに来るもの頗る多く大変の賑わいを呈する。」とあり。 『熊谷市内神社九十九撰 ぶらっとくまがや神のまち』(室田好男 2002) p94-95「玉井神社」 元旦祭・お歩射(三月十五日)「この祭日には併せて境内でだるま市も行われる。」とあり。 3 六斎市・達磨市を調べる。 『諸願成就だるまさん大集合 企画展 第32回』(川越市立博物館 2009) p6-7 江戸時代、明治時代のだるまについて記述あり。養蚕と達磨との関係についてもあり。 p7「明治時代は、関東各地の寺院などでだるま市(だるまが主体の市)が盛んになり始めた時代でもあります。このだるま市の発展によって、だるまは正月の縁起物としての性格が強まり、これを一年ごとに買い換える習俗が定着していったと考えられます。」 p60「関東地方だるま市マップ」に「2/7星川通り(熊谷市)」あり。 4 熊谷宿「本町」の位置を調べる。 『高札 中山道熊谷宿』(熊谷市立図書館 1992) p48「本町と称された宿場の中央部の名称は、複雑に変化している。」という記述あり。 p48-49に高木神社蔵熊谷宿町絵図、享保19年の熊谷町家並図部分、寛延元年熊谷町絵部分あり。 5 戦前の熊谷の様子 『戦前・戦中・戦後の熊谷の様子』(熊谷市立図書館美術,郷土係編 熊谷市立図書館 1996) p96「中山道の整備」 p104「熊谷戦後復興土地区画整理計画図」 『熊谷空襲 昭和20年8月14日のこと』(鯨井邦彦編著 熊谷雑学研究所 2010) p39「昭和20年ごろの熊谷」 p58「戦前の星川附近復元図」 『雑学から見た熊谷ものしり事典 明治・大正期における熊谷の自慢ばなし』(鯨井邦彦編著 熊谷雑学研究所 2009) p8、20、57「明治45年頃の熊谷町地図」「昭和15年頃の市街地の略図」あり。 6 《Google》( https://www.google.co.jp/ Google)を〈熊谷 & だるま市〉で検索する。 《熊谷だるま市祭》「2月7日を初市として行うのは、古くから熊谷の六斎市が毎月7日を市日として、新年の7日を初市を称したため、新暦となって2月7日を改めたもので、昔の市日の伝統を残しています。」(まちづくり熊谷)2016年5月10日現在掲載終了。 ウェブサイトの最終アクセス日は2015年3月17日。 | ||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||
備考 (Notes) | |||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 言葉 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | ||
登録番号 (Registration number) | 1000187624 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |