レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年3月30日
- 登録日時
- 2017/03/30 17:31
- 更新日時
- 2017/07/07 16:04
- 管理番号
- 名古屋市千-2017-001
- 質問
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「今池」の地名の由来
今池という地名が「馬池」から変化したものとする根拠があるか。それ以外のいわれがあるか。
- 回答
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資料5「尾張徇行記」によると、(古井村の)村東に今池新田があり、馬方新田とも言う。これは今池新田九町七反五畝十五歩と、くちら池新田一町四畝十一町二歩が、伝馬会所役馬100匹分の飼料として渡されたためである、という記述がある。また、資料6「寛文村々覚書」の古井村の記述の中に「今池」という池があることが確認できる。
ところが、資料1の「愛知郡誌」の「今池」の記述には、旧今池新田より駅馬を出し、馬を今池で水浴びさせたので、後の人が馬池と呼ぶようになったとある。資料5・6とは異なり、飼料ではなく馬そのものを供給するという位置づけになっている。「今池」と「馬池」を同一の池とするが、「今池」が「馬池」に変化したという説。
逆に「馬池」が変化して今池になったとする資料は、1点だけ見つけられた。資料7・資料10(資料7の再掲)に、古井村で聞き取りをした伝説の中に、「今池」についての話が出てくる。今池中学の場所に大正末まで池があり、池のそばに徳川家に仕える馬を飼っている所があった。池で馬を洗ったので「馬池」と言ったものが、いつのまにやら「今池」となったという。
「今池」の由来について別の見解は、紙媒体の資料ではまだ見つけられないが、資料9をインターネット上で確認。「名古屋市千種区今池(いまいけ)は、いわゆる池に由来する地名ではない。今は、イ(湧水地や水の流れる所)・マ(間)で、池はイ・ケ(処)のことで、今も池も同じ意味で台地の縁(ふち)から湧き出てくる水の流れる場所を示す。」という説が掲載されている。
参考として、今池の載った地図として、時代は下るが、資料8により弘化3年の古井村の村絵図を見ることができる
- 回答プロセス
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資料3、資料4の辞典をひくと、もとになる資料は主に資料5、資料6であることがわかる。これは、今池が馬池になった由来である。その逆に馬池が変化して今池になったとする説は資料7しか見つけられなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 愛知郡誌 全 愛知郡役所/[編] 愛知郡役所 1923.2 p.159~160 (資料1)
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水谷盛光/著 , 水谷‖盛光. 名古屋の地名 増補再版. 中日新聞本社, 1982. p.34
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026570254-00 , ISBN 4806200727 (資料2) - 日本歴史地名大系 第23巻 愛知県の地名 平凡社 1981.P.95 (資料3)
- 角川日本地名大辞典 23 愛知県 角川書店 1989 p.188 (資料4)
- 名古屋叢書 続編 第4巻 尾張徇行記 1 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1984 (資料5)
- 名古屋叢書 続編 第1巻 寛文村々覚書 (上) 名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1964. P.49 (資料6)
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岡田弘/著 , 岡田弘. 千種区の昔話と伝説をたずねて. 岡田弘, 1982. p.16-19
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026251479-00 (資料7) - 尾張国町村絵図 名古屋市域編 (徳川黎明会叢書) 徳川黎明会/編 国書刊行会 1988 古井村 およびその拡大図 古井村2 (資料8)
- 目からウロコの地名由来(2017年3月28日確認) (インターネット上ブログ 資料9)
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岡田弘 著 , 岡田, 弘, 1925-. Minwa : ぜーんぶなごやべん ぜーんぶ名古屋で聞いたお話. 海越出版社, 1989. p.10-12
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002037881-00 , ISBN 4906203728 (資料10)
- キーワード
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- 名古屋市千種区
- 地名-名古屋市
- 今池
- 馬池
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000213613