以下の資料から「綽軒中島先生遺愛碑」の関連記事を確認しました。
1 新聞・広報紙の記事
当館が契約している新聞記事データベース(※「下野新聞データベース plus 日経テレコン」(下野新聞・日経新聞))にて”綽軒”のキーワードでお調べしたところ、以下の記事が確認できました。
顕彰碑に添える案内板の設置に関する記事です。
・下野新聞 2018年6月22日26面
「有三の師 中島綽軒知って/太平山の碑に案内板を設置/埼玉・久喜の顕彰団体/あす現地で披露の会」
上記の他、朝日新聞(※「聞蔵2ビジュアル」)と読売新聞(※「ヨミダス歴史館」)についても同様にお調べしましたが、関連の記事は確認できませんでした。
また、上記新聞記事の日付から、栃木市の広報「広報とちぎ」平成30年(2018年)4月号~9月号をお調べしましたが、同様に確認できませんでした。
2 図書
栃木市の郷土史を中心にお調べしました。
・『栃木市史 通史編』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1988)
p.1035-1070「第一章 第三節 七 近代教育制度の発達 (一)維新期の教育機関」に「明誼学舎」の項があり、p.1052に「綽軒中島先生遺愛碑」建立に関する記述があります。
・『栃木市史 史料編 近現代2』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1983)【館内】
p.940-968「第五章 第三節 一 塾・私塾」に「明誼学舎」の項があり、p.956に「綽軒中島先生遺愛碑」の碑文が掲載されています。
・『太平山の石造物 平成ニ七年度栃木県大学・地域連携プロジェクト支援事業成果報告書』(国学院大学栃木短期大学「太平山の歴史遺産調査隊」/編 国学院大学栃木短期大学 2016)【館内】
p.9「謙信平周辺」の項、太平山神社の南側に建立されている記念碑・文学碑の紹介文があり、「綽軒中島先生遺愛碑」も記載されています。
また、資料編に以下の情報があります。
p.87 寸法等書かれた図と碑の写真
p.124 手書きの碑文
p.132 「名称・種別・総高・法量・願主/建立者/撰文者・年号・備考」の一覧表があり、No.119に「綽軒中島先生遺愛碑」が掲載されています。
・『蔵の街とちぎと大平山 その歴史と自然と文学碑』(川島正雄/著、発行 1998)
p.125-126「綽軒中島先生遺愛碑」の項があり、概要の記述と碑の写真が掲載されています。
以下の資料はお調べしましたが、記述を確認できませんでした。
・『栃木縣史 第6巻(教育編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)※昭和10年下野史談会発行の復刻
・『栃木郷土史』(海老沼錦也/編 日刊栃木毎日新聞社 1934)【館内】
・『栃木名所旧蹟物語 全』(大浦倉蔵/編、発行 1940)【館内】
p.41に碑の名称のみ記載がありましたが、詳細についての記述はありませんでした。
・『栃木市の歴史』(日向野徳久/著 栃木市 1966)
・『ふるさとの文学 1』(生井武司/〔ほか〕編 文京書房 1973)
・『栃木郷土史』(栃木郷土史編纂委員会/編 歴史図書社 1977)【館内】
・『中島敦研究』(中村光夫/〔ほか〕編筑摩書房 1978)
p.327-328「中島靖(綽軒)関係」の項を確認しましたところ、『栃木県教育史 3』と同一の記載内容でした。
・『目で見る栃木市史』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1978)
・『栃木県の文学散歩』(栃木県文学散歩の会/編 月刊さつき研究社 1979)
・『栃木県史 通史編6』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
・『栃木の文学史』(栃木の文学史編集委員会/編 栃木県文化協会 1986)
・『文学碑の旅 栃木県 下巻』(寺内恒夫/著 落合書店 1989)
・『郷土の人物と栃木市懐古 清水登之没後七十年記念』(志鳥正樹/著 石田書房 2016)