レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月08日
- 登録日時
- 2022/04/13 12:36
- 更新日時
- 2022/04/19 12:45
- 管理番号
- 県立長野-22-005
- 質問
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解決
真田昌幸の叔父にあたる矢沢頼綱以前の矢澤氏の系譜はあるか。諏訪の神氏にも矢沢家があるようだが関係を知りたい。また、矢沢城についても知りたい。
- 回答
-
<矢澤頼綱以前の矢澤氏>
旧矢沢氏についてまとめられた系譜のようなものは確認できなかった。
嘉永二年(1849年)に、真田家家臣の河原綱徳(「真田家御事蹟稿」をまとめた)が編纂した重臣録である「本藩名士小伝」の翻刻史料『校注本藩名士小伝 真田昌幸・信之の家臣録』 高志書院 2017 【281.52/カツ】に、「矢沢薩摩守」(翻刻:p.8-9、注:p.90-91)の項がある。このp.8-9に
(-前略-)矢沢ハ諏訪家の分流なりと云伝ひ、紋に鳥居梶の葉を用ゆ、又本国伊那郡ハヒロの住林
宗賢と云者の蔵本、得替記(とくがえき)と云書ニ曰、小県郡矢沢は新田義貞に属す、観応・貞治の
比、矢沢八郎住す、海野の分流なり、矢沢右馬介教満(のりみつ)、永享年中結城合戦に出陣す、小
縣郡の内百六十貫を領す云々、両説いつれか是なるを知らず、但佐久郡下之城村両羽(もろは)明神
の社地、石燈籠銘文ニ曰、
元祖神前エ軍中之祈念成就
海野望月両家氏敬白
時正慶二癸酉三月廿八日
矢沢氏根津氏 兵米二石進而
祈念申大宮神守
此れを以て見れバ、矢沢ハ旧家なるを知るへし、
とあった。
「得替記」は、『新編伊那史料叢書 第2巻』 伊那史料刊行会編 歴史図書社 1975 【N240/5a/2】に、「信陽城主得替記」が所収されている。p.112に「小県郡矢沢」の項があった。『新編伊那史料叢書 第2巻』は国立国会図書館デジタルコレクションで参加館公開。【最終確認2022.4.15】
竜野敬一郎著「矢沢綱頼の出自と足跡」『論集戦国大名と国衆14』 岩田書院 2014【288.3/マカ】 p.69-79の内、p.69-71「矢沢綱頼の出自」の項に、矢沢綱頼が相続した小県郡矢沢郷の矢沢家について、
小県郡史(p二九八)によると、綱頼は幼少のとき出家して鞍馬へ上ったが生来武を好み、文には
うとかったので還俗して郷里に帰り、旧矢沢氏の後を継ぎ矢沢右馬介頼昌の嗣となったとしている。
では、その旧矢沢氏はいったいどのような系譜を持つのか。この点については小県郡史も矢沢氏は
清和源氏満仲の子頼親に出て光村を祖とす。小県郡の矢沢氏其系に出づるか詳ならず。」(p.二九七)
としており、他のほとんどの氏族同様史料も乏しく、ほとんどわからないのが実情である。
とあり、記録となる史料をその後に列挙している。p.71のこの項の結びに
(-前略-)矢沢氏はいわゆる滋野三族と呼ばれている海野・望月・禰津氏等に近い関係にあったこ
の地方の一土豪とみることができる。
この点は、海野氏と深い関係を持つといわれる吉田堰(別名童女堰)が矢沢氏の居城した城山のす
そを半分とりまくような形にながれているところからも暗示されるように思われる。
しかも、この居城の位置は砥石城の対岸、真田から上州への入口にあたる要衝の地である。その出
自はともかく、綱頼はこうした矢沢氏の後を継いだわけである。
とある。この論文は1976年『上田小県誌歴史研究紀要』3号からの転載。
『論集戦国大名と国衆14』には、この他北村保著「矢沢家文書について」、利根川淳子著「戦国時代における矢沢氏の一考察」などが所収されている。
『上田小県誌 第1巻 歴史編上(2)』 上田小県誌刊行会編 小県上田教育会 1980【N221/12/1-2】のp.568-570に「矢沢氏」があり、
矢沢を領有した矢沢氏がいたことは、室町期よりずっと遡ることができるが、実名の記載されてい
る史料は少なく、「守矢満実書留」文明二年と推定される頃の、矢沢幸有が最初である。矢沢氏は神
使御頭を勤仕しているところから、神氏一族となっていたことが知られる。(-中略-)
矢沢氏が、どの頃から神氏族となったかは、明らかにすることはできないが、初出の文明二年以
降、天正一六年(一五八八)迄、御使御頭を勤仕しているので、一一八年間は、神氏を名のっていた
ことになる。
とあり、「神使御頭之日記」にも名前がみられることを記している。海野幸義(天文期)の弟頼綱が矢沢氏を名乗っているが、新しい氏ではない旨書かれている。
※「守矢満実書留」(もりやみつざねかきとめ):
『新編信濃史料叢書 第7巻』信濃史料刊行会編・刊 1972 【N208/43/7】p.135-157
※「神使御頭之日記」(こうとのおとうのにっき):
『新編信濃史料叢書 第14巻』信濃史料刊行会編・刊 1976 【N208/43/14】p.127-144
『上田市誌 歴史編5』上田市誌編さん委員会編 上田市 2001 【N221/175/8】p.198-200に「矢沢氏の城館跡」にも、上記資料と同様の記述がある。加えて、
天正七年(一五七九)の『上諏訪造宮帳』に、「矢沢郷代官上原与助・田中豊後守」とあり、矢沢
綱頼が在地支配していたとは考えにくいのです。天文十年以降の空白期間に何があったか知るすべは
ありませんが、矢沢郷はこの時期に別の矢沢氏が領有するところとなり、その支配地になったものと
思われます。
という記述もあった。
※「上諏訪造宮帳」:
『新編信濃史料叢書 第2巻』信濃史料刊行会編・刊 1976 【N208/43/2】p.87-104
『上田市史 上』 藤沢直枝著 信濃毎日新聞社 1940 【N221/26/1】 p.231 真田氏の出自についての項があり、この中に矢沢氏も記載されている。この中に、小県郡殿城村矢澤良泉寺に伝わって居る矢沢系図を紹介しているが、系図の引用図示はない。p.234でも、「矢沢氏」と項を立てており、
眞武内伝追加に「矢沢信州先方衆にて諏訪家別れと云ふ」とあり又良泉寺矢沢系図に二代真田源之
助、此御仁者十六従御年矢沢郷江御移其後瀧ノ諏訪大明神の続御系図、従夫矢沢薩摩守綱頼ト御名乗
給也」
とあるのみで、元から矢沢村にいた矢沢氏について古い系図については触れられていない。
信州デジタルコモンズで公開している『眞武内伝 附録全』下巻 「矢澤但馬」55コマ目にも、「矢沢信州先方衆にて諏訪家別れと云ふ」と同じような記述がある。【最終確認2022.4.15】
※「眞武内伝追加」:『信濃史料叢書 下』 信濃史料編纂会編 歴史図書 1969 【N208/60/3】
p.893-894「矢沢家之事 附書翰之寫数通」
『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』 角川書店 1996 【288.1/カド/20】p.968-969 「矢沢」に
一 中世、小県郡矢沢郷(上田市)より起こる矢沢氏がある。滋野姓。海野氏の支族といわれる。
『守矢満実書留』文明二年二月条に「大県介官付矢沢幸有」と見える(信濃史料9)。天文一〇年矢
沢綱頼は武田氏に降るが、天正三年三月二八日、矢沢頼綱は「矢沢郷之内、寺中山林竹木、寺領十貫
文」を矢沢郷内の良泉寺へ寄進している(良泉寺文書/信濃史料14)。(-後略-)
とある。二 で矢沢綱頼(頼綱とも)から始まる松代の矢沢氏に言及しており、綱頼を一の後裔としている。また、諏訪の矢沢氏については、三で触れている。『信濃史料』は長野県に関する事象を各文書から収載し編年体でまとめたもので、長野県立歴史館が「信濃史料データベース」で公開している。
※「守矢満実書留」:『信濃史料 第9巻』信濃史料刊行会編・刊 1968 【N208/28a/9】p.48
※「良泉寺文書」:
『信濃史料 第14巻』信濃史料刊行会編・刊 1968 【N208/28a/14】p.89-90
※信州デジタルコモンズで公開している「小県郡矢沢村良泉寺古記抜書」(写)および
「(小県郡)良泉寺文書・長禅寺文書」(写)は、長野県立歴史館所蔵の「丸山清俊資料」になる。【最終確認2022.4.15】
<矢沢城>
『上田小県誌 第1巻 歴史編上(2)』 (前掲)のp.569に、
矢沢氏の居城は、原上田市矢沢の集落の東山にあり、その北に近世矢沢氏の屋敷もあるが、室町中
期の居城と居館は解明されていない。(-後略-)
とある。
『上田市誌 歴史編5』(前掲)p.199-200に、矢沢綱頼以降を矢沢城、矢沢氏が神氏であった頃に築かれた城を矢沢古城として、記述がなされている。
なお、『図解 山城探訪 第3集上田小県資料編』 改訂 宮坂武男著 長野日報社 2004【N208/66/3a】のp.139に矢沢城,p.140に矢沢古城の記載がある。現地でスケッチを行った縄張図と解説で構成された図集となっている。書籍掲載の図とは異なりますが、カラーの図が長野県立歴史館の「宮坂武男城郭鳥瞰図」で公開されている。「矢沢古城」はなく、「矢沢城」が掲載されている。【最終確認2022.4.15】
<諏訪における矢澤氏>
『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』 角川書店 1996 【288.1/カド/20】p.968-969 「矢沢」の三にまとめられている。諏訪頼重の子盛時が矢沢五郎を称したとしている。文永九年諏訪郡矢沢村(諏訪市)に居住して矢沢を称し、末裔には、御林目付となった樹右衛門がいることも記されている。
『諏訪史料叢書 第5巻』諏訪教育会編 中央企画 1984 【N241/7a/5】の「諏訪家譜(其の一)」p.9-122のうち、p.14-15(10コマ目)に、中先代の乱にかかわった「盛高(頼重)」の弟として、盛時があるが、矢沢を名乗った記載は見られない。【最終確認2022.4.15】
p.17(9コマ目)に武田信玄に攻められ、甲府で自刃した「頼重」が出てくるが、この頼重に続く系譜中にも矢沢五郎は見られない。
p.113に、「御林目付 十俵壹人 矢沢仙右衛門」が確認できる。
※『諏訪史料叢書 第5巻』【最終確認2022.4.15】は、国立国会図書館デジタルコレクションで、デジタル化資料送信参加館公開。【最終確認2022.4.15】
なお、『新訂寛政重修諸家譜』で、「矢沢」を調べたが掲載はない。また、諏訪氏の系図にも、矢沢姓を名乗った人物は確認できなかった。
『古代豪族系図集覧』 近藤敏喬編 東京堂 1993 【288.2/コト】 p.250 に、頼重(元盛継 大祝三河権守入道昭雲)の弟に頼直があり、矢沢五郎ともあった。しかし、頼直から続く系図は収載がなく、詳細は不明。
なお、神(みわ)氏は、『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』(前掲)や『長野県歴史人物大事典』でも記述があり、中世に諏訪社の祭祀や造営が信濃の武士の義務であったため、これに奉仕した武士が氏人として神氏を名乗り始めたことが書かれている。諏訪氏のほかに滋野氏など、いくつも挙げられているが、矢沢氏はあげられていない。
- 回答プロセス
-
1 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社 1989 【N283/13】で、矢沢頼綱をみる。概略を確認する。
2 『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』で、矢沢氏を確認する。小県郡矢沢郷(上田市)が居地のため、上田市の誌史類を探す。
3 所蔵検索で「矢沢」氏に関するものを探すが、単行書はほぼないため、郷土分類N280の周辺で、真田氏の家臣団や真田一族に関する資料を探す。家臣団に関する研究所を見つける。
4 調べた資料が引用している史料を、『信濃史料』やweb上のデジタルアーカイブを探す。
5 神氏については、『諏訪史料 名家系譜』を中心に、矢沢姓を名乗った人物を探す。『古代豪族系図集覧』に矢沢五郎を見つけるが、他の資料に同じ人物は確認できない。
6 『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』にある諏訪の矢沢氏を『諏訪史料叢書 第5巻』で探す。
7 『上田小県誌 第1巻 歴史編上(2)』 等で見つけた矢沢城、および矢沢古城について、『図解 山城探訪 第3集改訂上田小県史料編』で探す。
<調査資料>
・『真田町誌 第2巻歴史編上』 真田町誌編纂委員会編 真田町誌刊行会 1998 【N221/156/2】
「真田氏の家臣団」の中に、矢沢氏についてまとめられている。p.527-530
・『信濃史源考 3』 小山愛司著 歴史図書社 1976 【N208/45a/3】
・『信濃史源考 4』 小山愛司著 歴史図書社 1976 【N208/45a/4】
・『諏訪史料 名家系譜』 飯田好太郎著 歴史図書 1977 【N288/82】
・『上田・小県文化大事典』 伊澤和馬編 信濃路出版 1986 【N221/109】
p.326-327に綱頼以降の矢沢城についての記述があります。
・『信濃真田氏』丸島和洋編 岩田書院 (論集 戦国大名と国衆13) 2014 【N288/268】
- 事前調査事項
- NDC
-
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
-
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[河原綱徳] [著] , 柴辻俊六, 小川雄, 山中さゆり 翻刻・校訂 , 丸島和洋 校注・解題 , 河原, 綱徳, 1792-1868 , 柴辻, 俊六, 1941- , 小川, 雄, 1979- , 山中, さゆり, 1972- , 丸島, 和洋. 校注本藩名士小伝 : 真田昌幸・信之の家臣録. 高志書院, 2017.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028566050-00 , ISBN 9784862151735 ( 【281.52/カツ】) -
丸島, 和洋. 論集戦国大名と国衆 14. 岩田書院, 2014.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025425361-00 , ISBN 9784872948585 (竜野敬一郎著「矢沢綱頼の出自と足跡」 【288.3/マカ】) -
上田小県誌刊行会 編. 上田小県誌 第1巻 (歴史編 上 2 古代・中世). 小県上田教育会, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001472881-00 ((2)』 上田小県誌刊行会編 小県上田教育会 1980【N221/12/1-2】) -
藤澤 直枝/著 , 上田市/編 , 上田市 , 藤澤 直枝 , 上田市. 上田市史 上. 信濃毎日新聞社, 1940-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059396727-00 (【N221/26/1】) -
竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 20. 角川書店, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541302-00 , ISBN 4040022009 (【288.1/カド/20】) -
宮坂 武男/著 , 宮坂 武男. 図解 山城探訪 : 上田小県資料編 第3集 改訂. 宮坂武男, 2004-04.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058906261-00 (【N208/66/3a】) -
諏訪教育会/編 , 諏訪教育会 , 諏訪教育会. 諏訪史料叢書 復刻 第5巻. 中央企画, 1984-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059270440-00 ( 【N241/7a/5】)
-
[河原綱徳] [著] , 柴辻俊六, 小川雄, 山中さゆり 翻刻・校訂 , 丸島和洋 校注・解題 , 河原, 綱徳, 1792-1868 , 柴辻, 俊六, 1941- , 小川, 雄, 1979- , 山中, さゆり, 1972- , 丸島, 和洋. 校注本藩名士小伝 : 真田昌幸・信之の家臣録. 高志書院, 2017.
- キーワード
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- 矢澤頼綱
- 矢澤綱頼
- 矢澤氏
- 神氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315007