レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月15日
- 登録日時
- 2022/04/14 11:00
- 更新日時
- 2022/04/14 16:01
- 管理番号
- 0000110969
- 質問
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解決
大村益次郎が慶應3年(1867年)に山口の柊(ひいらぎ)刑場での解剖にかかわったのを見た、と村田峯次郎が述べているらしい。そのことについて知りたい。
- 回答
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下記資料1上巻p124に、村田の「実見談」であるとして大村の解剖について述べた上、「当時少年であった村田氏が見に行つたといふておられたので間違いないこととおもふ。」とある。
また、下巻p324にも「村田峰次郎氏は生前余にしばしば」語ったとある。また、解剖を依頼した好生堂(長州藩の医学校)は、慶応2年9月3日(1866年10月11日)に萩から山口に移っており、村田は「秋頃」と記憶していたと述べたとのことで、慶応3年のことと思われる、とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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1.田中助一 著 , 田中, 助一, 1911-1999. 防長医学史. 聚海書林, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001701409-00 , ISBN 4915521230 (上巻p124,下巻p324)
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1.田中助一 著 , 田中, 助一, 1911-1999. 防長医学史. 聚海書林, 1984.
- キーワード
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- 大村, 益次郎, 1825-1869
- 村田, 峰次郎, 1857-1945
- 解剖学--歴史
- 医学--山口県--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315028