レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月12日
- 登録日時
- 2014/01/14 15:30
- 更新日時
- 2014/02/22 13:41
- 管理番号
- 島根郷2011-12-001
- 質問
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解決
江津市桜江町に、御崎山亀平(ミサキヤマ カメヘイ)と石見川才兵衛(イワミガワ サイベエ)という人物の石碑がある。力士のようだが、彼らについて詳しく分かる資料がないか
- 回答
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当館所蔵資料より、以下の資料を紹介。
資料1:p1337-1338に「石見川才兵衛」の項目あり。出羽の手間ヶ関と並び称された郡内屈指の力士。手間ヶ関とともに大阪に上って相撲を取ったこともある。30貫の大男で、豆腐1丁を手のひらにあげて食べながら酒を呑んでいた。宮ノ前(八幡宮)と平野に「才兵衛の力石」という560貫もある大石があった(宮ノ前の石は道路改修の際に埋もれた)。浜田落城祝の相撲に出かけ、大酒がもとで浜田で亡くなる(50歳)。
資料2:p46「御崎山亀平之碑」あり(写真あり)。建立は明治29年10月。道平に生まれ、幼少の頃より怪力大柄の美少年であった。幼くして角界に入り、花形力士となる。襲名を御崎山と命名、石見角界において人徳技量とも秀でて頭取(今の大相撲でいう年寄のこと)の称号を授かる。
p58「石見才兵衛碑」あり(写真あり)。才兵衛の弟子が建立(年月日不明)。才兵衛は出羽の手間ヶ関と並び称される郡内屈指の力士で、弟子が47人郡内にいたそうである。以下、【資料1】と同じ内容。碑は平成12年3月に修復再建された。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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質問者より:御崎山亀平については、墓と化粧回しが残っている(明治39年7月9日死去)。4代目御崎山亀平が、仁摩町馬路の4代目琴ヶ浜より組頭の「相撲免許状」を明治30年にもらっている。石見川才兵衛は石碑しかわからない。『江津市誌(下)』、『続邑智郡誌』、『馬路教育史』、『栄光の記録』などを見るが2人についての記述はなかった。
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 8版)
- 参考資料
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【資料1】森脇太一 編. 邑智郡誌. 森脇太一, 1937.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000707131-00 (当館請求記号 092.96/7 ※貸出禁止資料) -
【資料2】桜江碑を探る会/編. 桜江の碑と野の仏 : 次世代への贈りもの. 桜江碑を探る会, 2005.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000598806-00 (当館請求記号 092.96/274 ※貸出禁止資料)
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【資料1】森脇太一 編. 邑智郡誌. 森脇太一, 1937.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000143301