レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月13日
- 登録日時
- 2017/05/24 11:04
- 更新日時
- 2017/07/20 16:57
- 管理番号
- 埼熊-2017-006
- 質問
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未解決
江戸後期や幕末、埼玉県の人物で長崎でのことを書いた日記などの史料を知りたい。
- 回答
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下記資料に、清水卯三郎(しみずうさぶろう)の自伝と野村盛秀(のむらもりひで)の日記が確認できた。
1 清水卯三郎の自伝に関するもの
『焔の人・しみづうさぶらうの生涯』(長井五郎著 さきたま出版会 1984)
清水卯三郎自伝「わがよのき 上」を漢字かな交り文に書き改めたもの。現存するのは「上」のみである。
p67-79「憧れの長崎へ」
長崎への道中のことなどの記述はあるが、長崎での詳しい記述はなし。
p219-224 「年譜」あり。
『清水卯三郎 歴史に隠れた大商人』(今井博昭著 幻冬舎メディアコンサルティング 2014)
p17 「卯三郎は、全て平仮名で書いた前半生の自伝『わがよ の き 上』を書き残しているが、長井五郎の『焔の人・しみづうさぶらうの生涯』には、それを漢字かな文字に書き改めた『わがよ の き 上』(以下『自伝』という)が掲載されている。」とあり。
p73-77「勝海舟と長崎で出会う」
安政4年(1857)長崎海軍伝習所での第3期募集があり、卯三郎は国の役に立ちたいとの思いから志願し(中略)11月初めに長崎へ着いたとある。『自伝』の引用を用いながら、伝習所で知り合った勝麟太郎(海舟)に頼むが入所は許されなかった様子が記されている。長崎での詳細な記述はないが、巻末に年譜と参考文献あり。
2 野村盛秀の日記に関するもの
『埼玉県史研究 第23号』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県 1989)
p47-63「初代埼玉県令野村盛秀の生涯」の「二 野村盛秀日記」の野村盛秀日記の引用箇所に長崎に関する記述あり。
- 回答プロセス
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1 自館目録を〈長崎行〉〈長崎日記〉で検索する。
『日蘭交流史その人・物・情報』(片桐一男編 思文閣出版 2002)
p96-120「清水卯三郎の長崎行を支えた人びと」
「これまで清水卯三郎に関する代表的な著作には、長井五郎氏が卯三郎の遺した自伝『わがよのき 上』を紹介し、その生涯に説き及んだ『しみづうさぶろう略伝』(私家版、一九七〇年)と『焔の人しみづうさぶろうの生涯』(さきたま出版会、一九八四年)という労作がある。その後、渡辺隆夫氏が『郷土・羽生の先覚者しみづうさぶらう』(御園書房 一九九九年)を上梓された。この他、参考になる史料や研究については、二、三提示できるもの(1)が散見する程度で、卯三郎の本格的な研究は今後に待たれている現状にあると申せよう。」
(注)清水卯三郎:武蔵国蓑沢村(現埼玉県羽生市)の人物
『長崎を訪れた人々 明治篇』(高西直樹著 葦書房 1988)
p59「野村盛秀(もりひで) 1831-1873 埼玉県令、従五位。鹿児島藩生まれ。 長崎県知事。」埼玉県令となったが任期中病死した。
2 《Google ブックス》(https://books.google.co.jp/ Google)を〈長崎 & 武蔵国〉で検索する。
『長崎町人誌 第2巻 さまざまのくらし編 装いの章』(嘉村国男編 長崎文献社 1994)
該当する記述なし。
3 清水卯三郎関係資料を確認する。
『清水卯三郎』(今井博昭著 幻冬舎メディアコンサルティング 2014)
p214-217「清水卯三郎 年譜」あり。
「1857(安政4)8月 長崎海軍伝習所への入所を志願し長崎へ向かう長崎で勝海舟と知り合う」とあり
『焔の人・しみづうさぶらうの生涯』(回答資料)
『清水卯三郎 歴史に隠れた大商人』(回答資料)
4 野村盛秀関係資料を確認する。
『埼玉県史研究 第23号』(回答資料)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2016年4月13日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『焔の人・しみづうさぶらうの生涯』(長井五郎著 さきたま出版会 1984) , ISBN 4-87891-026-7
- 『清水卯三郎 歴史に隠れた大商人』(今井博昭著 幻冬舎メディアコンサルティング 2014) , ISBN 4-344-97123-X
- 『埼玉県史研究 第23号』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県 1989)
- キーワード
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- 長崎
- 埼玉
- 江戸
- 幕末
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000216492