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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000225116
提供館
(Library)
県立長野図書館 (2110021)管理番号
(Control number)
県立長野-17-106
事例作成日
(Creation date)
2017年10月25日登録日時
(Registration date)
2017年11月17日 13時30分更新日時
(Last update)
2018年01月19日 16時57分
質問
(Question)
近世の信濃の国の地誌の編纂者次の7名について、それぞれ当該地誌の成立年の身分や地誌執筆の動機などが知りたい。
 吉沢好謙(『信陽雑誌』『信濃地名考』『四隣譚藪』)
 鈴木重武(『信府統記』)
 瀬下敬忠(『千曲之真砂』)
 山村良祺(『木曽名跡誌』)
 井出道貞(『信濃奇勝録』)
 豊田利忠(『善光寺道名所図会』)
 園原旧富(『木曽古道記』)
回答
(Answer)
問い合わせの人物について、それぞれの資料の成立年にどんな身分であったか、どのような目的があったかなど、詳細な記述がある資料は確認できなかった。

1. 吉沢好謙(よしざわ たかあき)
 江戸時代中期の地方史家、俳人。1710(宝永7)-1777年(安永6)。佐久郡岩村田宿(現佐久市)に生まれ、通称清右衛門、好謙といい、鶏山(けいざん)郡山と号した。若年で母方の金融業を継いだが、生来学問を好み、竜雲寺住職洞雲(とううん)和尚から歴史への眼を開かれ、江戸へ出ては国学を賀茂真淵、加藤宇万伎(うまき)に、俳諧を建部凌岱(りょうたい)に学んだ。自ら「井農吉沢好謙」としたように日常市井の生活に目を向け、郷土の歴史、地理に関心をもち、1736年(元文1)『四鄰譚藪(しりんだんそう)』、44年(延享1)『信陽雑誌』、67年(明和4)『信濃地名考』など佐久郡に限らず信濃一国の歴史、地理の書を編纂し、『続譚藪』『鄙問答(ひなもんどう)』など地域の文字やことばの収集、考証にも当たって『千曲之真砂(ちくまのまさご)』の瀬下敬忠、『信濃奇勝録(しなのきしょうろく)』の井出道貞とともに佐久の三大郷土史家と言われている。(後略)

●『長野県歴史人物大事典』p.778-779
   『長野県百科事典』p.831
   『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』p.637


2. 鈴木重武
  1642(寛永19)年から1725(享保10)年まで松本城7万石の城主となった水野氏の5代忠幹が、藩政の参考とするため、領内および信濃全体の地理と歴史に関する諸件を集録する計画を立て、これを家臣である鈴木重武、三井弘篤に命じ、草案をつくらせたが、忠幹の死後忠恒の代(1724)に完成、松本の別名信府にちなんで『信府統記』と題したものである。(後略)
   『長野県百科事典』のp.415「信府統記」

とある。その他,『新編信濃史料叢書 第5巻』p.解題1 の「信府統記」解題でも

 (前略)領地内の地誌・政譜を集成したもののないのを残念とし、藩政の参考に資するため、領内および信濃国の地理・歴史に関する諸件を集録しようとし、同[享保]7年9月、鈴木重武・三井弘篤に命じて、その草案を綴らしめた。しかし、その業の終わらない同8年5月1 0日、忠幹は年25歳で卒した。
 同年7月5日忠幹の遺領を継ぎ松本城主となった弟忠恒は、兄忠幹の遺志をつぎ、前記両人に命じて、編述の完成を期せしめた。古来松本は信府と称せられていたので、これに因んで信府統記と名ずけた。(後略)
                       
と、あるのみで、鈴木重武について詳細がわかるものはなかった。


3. 瀬下敬忠(せじも のぶただ) 
 1709(宝永6)-1789年(寛政1)。佐久郡野沢村(現佐久市)に生まれ、文人敬豊の第三子。(中略)母の生家の養子となり依田郡の丞を称したが兄良之の出郷により家督を継いだ。生来の英才。幼時から父の指導もあり、本覚庵海円、金子玄三らに学び、また多くの名家、文士と交流して学識をひろめ、和歌、俳諧、書道、絵画、篆刻、謡曲などの書芸にも達したが、生涯を通じては歴史の研究で『千曲の真砂』をはじめとし、また随筆、句集などを含めると数十巻に達する。父の跡を継いで岩村田藩主内藤氏に仕え村役人の中心であったが、1753年(宝暦3)御用達を辞し隠居した。(後略)
    『長野県歴史人物大事典』p.397

とあったが『長野県百科事典』p.452 では、

 (前略)帰郷後は郷土史研究に力をそそぎ、1753(宝暦3)年に『千曲之真砂』を脱稿した。『長春随筆』をはじめ数十巻の著書がある。1778(安永7)年家を子の敬雄にゆずり、小県郡祢津村(現※東部町)に小庵を結んで極月楼と名づけ、風月を友に余生を送った。(後略)
                      
               ※東部町:現上田市

となっている。

    『長野県百科事典』p.452,513
    『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』p.539


4. 山村良祺(やまむら たかのり) 
 木曽山村領第12代の代官、文人。1798(寛政10)-1866年(慶応2)。第10代良喬(たかてる)の子に生まれ、1827年(文政10)第11代良熙(たかひろ)の後を継いだ。(中略)『木曽名跡志』、『木曽考続貂』の著や、蘇門の遺志を継いで編した『樵唱集』があり、文学の蘇門時代に次ぐ城陽時代をつくった。(後略)

    ●『長野県歴史人物大事典』p.764
     『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』p. 633


5. 井出道貞(いで みちさだ)
 宝暦6年(1756)-天保10年(1839)。佐久郡臼田郷(現佐久市臼田)の下諏訪神社の神官井出守豊の長男。社寺、旧跡の旧記調査に興味を持っていた父の影響を受け、また国学者加賀美光重に和歌を学び、書を雪下園に学んだ。神官のかたわら近村の子どもを教えた。常に和漢の書をあさり、文政年間(1818-1829)ころから十数年にわたって信濃国内の奇勝地を訪ね、神社仏閣や、名所旧跡を調査して研究考証し、1834年(天保5)『信濃奇区一覧』5巻を脱稿した。(後略)

    ●『長野県歴史人物大事典』p.68
     『長野県百科事典』p.55,361
     『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』p.456


6. 豊田利忠 
 (前略)本書は、天保14年脱稿し、これまでに成っていた画図のうち、下絵のままのものは改めて小田切忠近に依頼して精画とし、嘉永元年富永南陵の校閲を得て、嘉永2年9月名古屋の美濃屋伊七によって上梓されました。
著者豊田利忠は美濃国今尾城主竹腰氏の家臣であるというほか、詳細な事歴を知ることはできませんが、序文・後序によると十数年の歳月を費し、すべて現地に足を記しての記録で見聞のまま記していく、この道の当時の様を彷彿させるものがあります。(後略)

     『新編信濃史料叢書 第21巻』p.解題2の「善光寺道名所図会」解題

と、あるのみで、豊田忠利について詳細な記述はなかった。

 なお、NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブのサイトで「善光寺道名所図会」【2017.11.18最終確認】が取り上げられている。本編のアーカイブのほかに、著者についての解説項目に

 著者は豊田利忠です。108点の挿絵の大半も彼が描いています。利忠は、別名を庸園と号し、美濃国今尾藩(岐阜県海津市)の城主竹腰氏の家臣です。家臣としての公務の合間に本書を執筆したといいます。
 利忠が本書の構想を思い立ったのは天保初年のことです。それから10数年の歳月を費して書かれました。古来の名所にとどまらず、その周辺に広がる風景や生業を描き、また、100種類以上の古来からの文献が引用されています。

とあった。


7. 園原旧富(そのはら ふるとみ) 
 1700(元禄13)-1776年(安永5)。木曽の三留野(みどの)(現南木曽町)に生まれた。地元の天王祠の神官となり、通称耶麻登(やまと)、桂翁と号した。(中略)木曽山道が改変していくにしたがって、事蹟が隠滅することを嘆き、自ら木曽中を踏査して『木曽古道記』を著した。(後略)

    ●『長野県歴史人物大事典』p.404
     『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』p.540

●は転記元の文献
回答プロセス
(Answering process)
1. まず、『長野県歴史人物大事典』で人物の概略をつかむ。問い合わせの資料の成立年当時の身分まで詳しい記述は確認できない。人物によっては、地誌執筆の動機について書かれているが、わからない人物もある。

2. 問い合わせの資料について『長野県百科事典』補訂版 で概略をつかむ。ここでも、詳細まではわからなかった。

3. 当該資料が活字翻刻されているものについては、各資料をあたり解題をチェックした。あまり細かな評伝のようなものは確認できなかった。

4. 信州地域史料アーカイブのサイトで「善光寺道名所図会」の著者解説を確認。

5. 概略ではあるが、以上をまとめとて回答とする。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 8版)
日本  (291 8版)
参考資料
(Reference materials)
神津 良子/編 , 神津 良子 , 神津 良子. 長野県歴史人物大事典. 郷土出版社.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059269886-00 , ISBN 4876631263 (【N283/13】)
信濃毎日新聞社開発局出版部 編 , 信濃毎日新聞社開発局出版部. 長野県百科事典 補訂版. 信濃毎日新聞社開発局出版部, 1981.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077911658-00  (【N030/2a】)
竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 20. 角川書店, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541302-00 , ISBN 4040022009 (【N288.1/カド/20】)
信濃史料刊行会. 新編信濃史料叢書 第5巻. 信濃史料刊行会, 1973.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002617858-00  (【N208/43/5】)
信濃史料刊行会 , 信濃史料刊行会 編. 新編信濃史料叢書 第21巻. 信濃史料刊行会, 1978.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002586833-00  (【N208/43/21】)
キーワード
(Keywords)
長野県--地誌--書目
長野県--人名辞典 地名
長野県--伝記
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土 人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000225116解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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