レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月15日
- 登録日時
- 2021/02/06 14:19
- 更新日時
- 2021/02/12 13:41
- 管理番号
- 地-200017
- 質問
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解決
「横浜市旭区の鶴ヶ峰浄水場脇に「駕籠塚」があり、その碑文に、重忠の「内室」が自害した、と刻まれている。この自害した内室は、①足立遠元の娘か、②北条時政の娘、のいずれかを知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
・『鎌倉仏教の様相』 高木豊、小松邦彰編 吉川弘文館 1999
大久保雅行「日蓮誕生論-鎌倉新仏教における人権思想の萌芽-」(p.282~322)が所収されている。
p.294「畠山重忠が鶴見ないしは鶴ヶ峰から二俣川へ向かい討ち死にしたのが元久二年(一二〇五)であり、菊の前もこれを追って自刃したと伝えるが、(以下略)」と記載されている。
p.293「畠山重忠と菊の前(足立遠元の娘とも清原氏とも伝える)」と記載されている。
・石川修道「宗祖の母・梅菊「畠山重忠有縁説」の一考察」
『現代宗教研究 第42号』 日蓮宗宗務院 p.254-296 2008.3
https://genshu.nichiren.or.jp/publications/post-1028/id-1078/
上記論文のp.256に「重忠の側室である菊の前(足利遠元の娘)が悲しみのあまり駕籠に乗ったまま自害於二股川(駕籠塚)したという伝説より」と記載されている。また、「畠山重忠が最初に結婚した女性が、足利遠元の娘「菊の前」である。生れたのが小次郎重秀である。」とも記載されている。
・『鎌倉・室町人名事典』安田元久編 新人物往来社 1985
p.41に「あだちとおもと 足立遠元 生没年不詳」が立項されており、「(前略)その女二人は畠山重忠・北条時房に嫁した。」とある。
・『吾妻鏡人名総覧 注釈と考証』安田元久編 吉川弘文館 1988
p.219「重秀 畠山」が立項されており、「通称官職名等 小次郎」とある。また、「(注)畠山重忠二男、母は足立遠元女(吾妻鏡典拠)」とある。
・『全訳吾妻鏡 3』貴志正造注釈 新人物往来社 1977
「吾妻鏡第十八 元久二年六月」の、p.115に「小次郎重秀年廿三、母は右衛門尉遠元が女」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「畠山重忠辞典」(深谷市教育委員会編纂)
「畠山重忠・中世武士の研究」(清水亮)
「畠山重忠~横浜・二俣川に散った武蔵武士」(横浜市歴史博物館)
以上3点の資料を確認した。
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293572