レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月07日
- 登録日時
- 2020/03/25 10:22
- 更新日時
- 2020/03/26 15:53
- 管理番号
- 地-190020
- 質問
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解決
『北条時宗』 川添昭二著 吉川弘文館 2001のp.290下段、後ろから4行目に「三月、忍性、最明寺(時頼)後家尼の意をうけ、叡尊を招いて摂津国多田院本堂の供養を営む」と記載されている。この「後家尼」とは「葛西殿」のことを指していると思うのだが、「後家尼」が何を示しているのかわかる資料を教えてほしい。
- 回答
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下記資料を紹介した。
・『鎌倉幕府と葛西氏 地域史フォーラム・地域の歴史を求めて』葛飾区郷土と天文の博物館編 名著出版 2004
p.121~126「〔コラム2〕「葛西殿について」」今野慶信著において、「葛西殿」と呼ばれた人物について、p.124に「北条時頼の正妻と思われる。(中略)弘安四年(一二八一)には西大寺叡尊を招き、摂津国多田院の本堂供養を挙行している(摂津多田神社文書)。彼女は叡尊が関東に下向したとき説法を聴聞しており(『関東往還記』)、真言律の極楽寺忍性に帰依していた(『多田院系図』)。弘安四年の段階で「西明寺(北条時頼)後家尼御前」と呼ばれているから、弘長三年(一二六三)の時頼死去に伴う出家と推測される。摂津国多田庄には領主として臨んでいたらしく、徳治三年(一三〇八)頃には多田庄雑掌に「葛西殿御教書」を出している(摂津多田神社文書)。」等の記載がある。
・『鎌倉幕府と蒙古襲来 海外視点日本の歴史6』ぎょうせい 1986
p.127に「(略)葛西殿・大方殿という、北条時頼・時宗の後家かと推定されている北条氏中の最有力者の女性」と、記載がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
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- 葛西殿
- 後家尼
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276657