レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2001年11月17日
- 登録日時
- 2005/09/06 19:51
- 更新日時
- 2006/01/09 17:49
- 管理番号
- 相橋-H17-010
- 質問
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解決
「右近の橘・左近の桜」という言葉があるが、何に由来するのか。
- 回答
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平安宮内裏の紫宸殿(南殿ともいう)の前庭に植えられている桜とタチバナ。左近・右近は左近衛府・右近衛府の略称。左近は紫宸殿の東方に、右近は西方に陣をしくが、ちょうどその陣頭の辺に植えられているのでこの名がある。平安時代末期にできた『古事談』に、南殿の桜はもと梅であって、794年の平安遷都のとき桓武天皇によって植えられたが、960年の内裏焼亡の際に焼失し、内裏新造のとき、梅に代えて重明親王の家の桜を植えたものであり、タチバナは平安遷都以前、そこに住んでいた橘大夫という人の家に生えていたものである。(世界大百科事典11巻より)
- 回答プロセス
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はじめに百科事典で調べてみると、R031『世界大百科事典11巻』(P241“さこんのさくらうこんのたちばな”の項目に記載あり。また、右近・左近という言葉から平安時代の官職を連想し、日本史に関する辞典も見ることした。すると、R210.0『日本史大事典3巻』P614“左近の桜・右近の橘”、R210.03『国史大辞典2巻』P62“うこんのたちばな・さこんのさくら”、R210.0『日本史広辞典』P206“うこんのたちばな・さこんのさくら”に同様の意味の記載があった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『日本史大事典』(下中弘編、平凡社、1997)
- 『国史大辞典』(国史大辞典編集委員会編、吉川弘文館、1998)
- 『日本史広辞典』(日本史広辞典編集委員会編、山川出版社、1997)
- キーワード
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- 右近の橘左近の桜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000023768