レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年12月21日
- 登録日時
- 2012/12/17 14:27
- 更新日時
- 2015/04/10 13:11
- 管理番号
- 2011-138
- 質問
-
解決
「中間小説」という言葉を最初につかったとされる久米正雄と林房雄の座談会の記事(雑誌『新風』大阪書房,1947(昭和22)年4月号)を確認したい。
【追補】
Wikipedia情報なので、出版者など正確ではない可能性がある。
- 回答
-
お探しの記事は次の雑誌記事と思われます。
誌名:新風
巻号:1947年4月特大号
出版者:大阪新聞社東京出版局
所蔵機関は以下のとおりです。
所蔵:神奈川近代文学館
- 回答プロセス
-
□自館OPAC タイトル:新風 ヒット1件 該当なし
□Webcat Plus タイトル:新風 ヒット9件 発行年では大阪新聞社のものが近い
□NDL タイトル:新風 ヒット38件 同上
利用者「日本近代文学館所蔵のものがそうではないかと思うので問い合わせてほしい」とのこと。
■自館で使えるデータベース Japan Knowledge+ → ニッポニカ
キーワード:中間小説
「久米正雄と林房雄がこの名称を初めて用いたといわれている」との記載あり。
□自館で使えるデータベース 雑誌記事索引集成データベース
キーワード:中間小説
確認できる最も古い記事は1949年。
【調査方針】
1)誌名、2)出版者名、3)発言者より調査する。
1)
Webcat、NDL タイトルや出版者で検索。結果、同上。
2)
□ゆにかねっと 出版者:大阪書房 ヒット6件
出版社は存在したと思われるが、『新風』は確認できない。
□DOORS、Webcat Plus、NDL 出版者:大阪書房 該当資料なし。
□日本出版年鑑,協同出版社 AN1003676X 大阪書房の記載なし。
1)
□日本近代文学館
昭和22年は3月号のみ所蔵。12/22座談会の掲載の有無を問い合わせる。
昭和22年3月の2巻3号には掲載なしとの回答を受ける。
3)
関連資料として、以下3点を確認。
■林房雄,文学的回想,新潮社,1955,BN1272989X
その頃の私の小説に、久米正雄が「中間小説」といふ名前をつけた。(略)私は中間小説の開祖または主唱者にされてしまった。
■国文学解釈と鑑賞,至文堂,Vol.27 AN00265261
中間小説という命名は戦後だが、その概念は実は戦後はじめて出現したものではない。
この名称の命名者は一説には久米正雄と言われ、また一説には林房雄ともいわれている。
■国文学解釈と鑑賞,至文堂,Vol.31 AN00265261
林房雄が逸早く中間小説という呼称を使いはじめ、(略)
以上が、林房雄がいいだし、当時しきりに喧伝された中間小説の呼称の内容である。
1)
以下のとおり、該当すると思われる資料の書誌と所蔵を確認。
■ヨミダス歴史館 キーワード:新風 ヒット該当1件
1947年4月11日の紙面に『新風』の広告が掲載されており、「座談会 久米 大佛」とある。
誌名:新風 巻号:1947年4月特大号
出版者:大阪新聞社東京出版局
■神奈川近代文学館所蔵資料検索
種別:雑誌 タイトル:新風 ヒット10件 該当1件
昭和22年4月号の所蔵有り。個人で郵送複写申込みができる。
利用者に調査結果と所蔵館、入手方法との関連資料をご案内する。
- 事前調査事項
-
Wikipedia「中間小説」の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%96%93%E5%B0%8F%E8%AA%AC [確認2012-12-17]
- NDC
- 参考資料
-
- 読売新聞1947年4月11日紙面
-
林房雄『文学的回想』新潮社,1955,
-
『国文学解釈と鑑賞』至文堂,Vol.27
-
『国文学解釈と鑑賞』至文堂,Vol.31
- キーワード
-
- 中間小説
- 久米正雄
- 林房雄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵機関調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000115892