レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年12月09日
- 登録日時
- 2011/12/22 17:20
- 更新日時
- 2011/12/27 19:04
- 管理番号
- 20111209/907
- 質問
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解決
北国新聞2011年12月8日夕刊7面の記事「真珠湾攻撃70年」の中に、「真珠湾攻撃で潜水艦1隻を撃沈する戦果を挙げた」「海軍飛行兵」が、「1945(昭和20)年4月1日、21歳で戦死」した、とあった。真珠湾攻撃は昭和16年12月8日だから、当時16歳だったことになる。海軍の飛行兵の養成制度について知りたい。
- 回答
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和田秀穂著『海軍航空史話』明治書院 1944(397.2/10)
p186「少年飛行兵の制度が、…設けられたのは実に昭和五年であつた。」
p187「当初の規定では年齢満十五歳以上から十七歳未満の高等小学校卒業、もしくはそれ以上の学力を有する者の中で、体格検査と学術試験に合格したものの中から選抜して採用した」
p187「昭和十二年になつて、中学三学年終了程度のものからも採用することになつたので、この方を甲種飛行予科練習生と呼び、従来の少年飛行兵の方は乙種飛行予科練習生と改められることになつた。」
p188「今度の大東亜戦争開始以来、ハワイ、マライ沖海戦をはじめとして各地の航空戦において、これ等の教程を終へた中堅少壮の海鷲が常に赫々たる戦果を挙げてゐることは世人の周知するところである。」
原剛編『日本陸海軍事典 上』新人物往来社 2003(R392.1/10040/1)
p178「予科練(海軍飛行予科練習生)」の項に養成制度の変遷が簡潔にまとめられている。
p139に「少年兵」の項あり。
「日本陸海軍航空隊総覧」(「別冊歴史読本」第16巻3号 1991.1)
p58~63雨倉孝之「『予科練』とパイロット気質」
予科練の誕生と発展について簡潔に述べられている。著者は前掲「予科練(海軍飛行予科練習生)」の項の執筆者。
- 回答プロセス
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当館の蔵書をキーワード「予科練」と「海軍航空」でそれぞれ全文検索し、請求記号「39*」の資料の目次を見て、養成制度について書かれたものを探した。
回答に挙げた資料以外では、以下のものがあった。
海軍航空本部編『海軍飛行予科練志願読本』興亜日本社 1944(397/14)「甲種予科練の徴募の中止について」
植松尊慶著『日本海軍航空隊』アルス 1944(397/33)「飛行予科練習生」「予備学生」
福本和也著『ああ甲種予科練』徳間書店 1984(397.8/10003)「予科練の歩んだ道」
防衛庁防衛研修所戦史室著『海軍航空概史 戦史叢書 95』朝雲新聞社 1976(393.2/166/95)要員養成について記述あり
下平忠彦著『海の若鷲「予科練」の徹底研究』光人社 1990(397.9/12)「制度について」
また、当該人物について「真珠湾攻撃」の面から少し調べてみたが、『ハワイ作戦 戦史叢書10』朝雲新聞社 1967(393.2/166/10)p596~616「機動部隊ハワイ攻撃隊搭乗員名簿」に名前は見つけられなかった。「資料の関係から正確を保し難い」と筆者は注している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 海軍 (397 9版)
- 参考資料
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- 和田秀穂著『海軍航空史話』明治書院 1944(397.2/10)
- 原剛編『日本陸海軍事典 上』新人物往来社 2003(R392.1/10040/1)
- 「日本陸海軍航空隊総覧」(「別冊歴史読本」第16巻3号 1991.1)
- 海軍航空本部編『海軍飛行予科練志願読本』興亜日本社 1944(397/14)
- 植松尊慶著『日本海軍航空隊』アルス 1944(397/33)
- 福本和也著『ああ甲種予科練』徳間書店 1984(397.8/10003)
- 防衛庁防衛研修所戦史室著『海軍航空概史 戦史叢書 95』朝雲新聞社 1976(393.2/166/95)
- 下平忠彦著『海の若鷲「予科練」の徹底研究』光人社 1990(397.9/12)
- キーワード
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- 真珠湾攻撃
- 海軍飛行兵
- 予科練
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000098883