レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月22日
- 登録日時
- 2018/10/30 16:50
- 更新日時
- 2019/02/23 15:59
- 管理番号
- 埼久-2018-051
- 質問
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解決
『月華の銀橋 勘定奉行と御用儒者』(高任和夫著 講談社 2009)に記述のある新井白石が発した御触書「おおせいだせれのおもむき」は実際に発せられたものかどうか知りたい。
『月華の銀橋 勘定奉行と御用儒者』では、萩原重秀が勘定奉行を罷免された直後に新井白石が発したと記述されている。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『御触書寛保集成』(高柳真三[ほか]編 岩波書店 1976)
p903-905「一七九七 正徳ニ辰年十月」(改行)「被 仰出之趣」とあり。
『御触書集成目録 下 編年目録』(石井良助[ほか]編 岩波書店 2002)
p50「2・10・11(寛)一七九七 金銀吹替ニ付被仰出之事」とあり。
- 回答プロセス
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1 萩原重秀が勘定奉行を罷免された年代を確認する。
(1)《WHOPLUS》(日外アソシエーツ)を〈萩原重秀〉で検索するが、ヒットなし。
(2)《Japan Knowledge》(ネットアドバンス)を〈萩原重秀〉で検索するが、ヒットなし。
(3)参考図書を確認する。
『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編[1](あ-す)』(日外アソシエーツ編集部編 日外アソシエーツ 1996)
p515「荻原重秀 おぎわらしげひで」の項あり。収録事典に『日本人名大事典 1-6』(平凡社 1979)あり。
『日本人名大事典 1 ア-オ』(平凡社 1986)
p667「オギハラシゲヒデ 荻原重秀」の項あり。「徳川中期の勘定奉行。(中略)正徳二年九月、遂に奉行を罷められ(後略)」とあり。
(4)《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈萩原重秀〉で検索する。
《荻原重秀 Wikipedia》(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E5%8E%9F%E9%87%8D%E7%A7%80 ウィキメディア財団)
「正徳2年(1712年)9月11日に勘定奉行を罷免された。」とあり。
2 自館目録を〈御触書 & 集成〉で検索する。
『御触書寛保集成』(回答資料)
『御触書集成目録 下 編年目録』(回答資料)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年10月30日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 『御触書寛保集成』(高柳真三[ほか]編 岩波書店 1976) , ISBN 4-00-008611-1
- 『御触書集成目録 下 編年目録』(石井良助[ほか]編 岩波書店 2002) , ISBN 978-4000088381
- キーワード
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- 新井 白石(アライ ハクセキ)
- 御触書
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000244626