レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年11月25日
- 登録日時
- 2012/04/26 10:15
- 更新日時
- 2012/04/26 10:15
- 管理番号
- 9000006946
- 質問
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解決
江戸時代、参勤交代を終えた大名が国元に戻っている間、妻子はどこに住んでいたのか。
- 回答
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妻子は江戸の邸宅に移り住んでいた。江戸幕府の諸大名に対する政策として、「参勤交代」制度の他に「証人」制度があり、諸大名妻子は江戸居住を義務づけられ、また大名家臣の子弟を質として江戸に置くことを命じられた。妻子の江戸居住は幕末の文久2(1862)年まで続いた。
- 回答プロセス
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1.百科事典で「参勤交代」について調査。
・『世界大百科事典』第11巻(平凡社 2007年)[資料番号0104246616]→p466「参勤交代」の項。「家康も外様大名の江戸参勤とその妻子の江戸居住を奨励し…」「…1862年(文久2)には一橋慶喜、松平慶永らの幕政改革によって大名は3年に1年または100日の在府、その妻・嫡子とも在府・在国自由となった」などの記述がある。
2.歴史辞典類で「参勤交代」を調査。
・『国史大辞典』第6巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985年)[資料番号0101387702] p522-523、『日本史大事典』第3巻(平凡社 1993年)[資料番号0102651726]p713-714はいずれも1の資料とほぼ同様の記述。
・『江戸幕府大事典』(大石学編 吉川弘文館 2009年)[資料番号0105459572]→p893「参勤交代」の項「また、大名の正室や嫡子を人質とする人質制を採り、参勤と人質により徳川将軍家への権力の集中化が進められた」「…文久二年(一八六二)の幕政改革で大名の在府を短縮、妻子の在府・在国自由としたりしながら、幕末まで継続した」などの記述。
3.自館システムで件名「参勤交代」を検索し、該当資料を調査。
・『参勤交代(日本歴史叢書新装版)』(丸山雍成著 吉川弘文館 2007年)→p31-32に「大名家眷(かけん)の在府」の項がある。「証人制以外に参勤交代制と関係が深いのは、大名家眷を江戸に置くことである」とあり、大名の妻子は江戸の邸宅に移されたことが記述されている。幕府は寛永11(1635)年8月、譜代大名のうち妻子を領地に置いている者に、みな江戸に引き移るように命じた。これ以降、大名の婚礼は必ず江戸で行い、幕府も大名が夫人を国許に移すのを許さず、関所通行時の出女改(でおんなあらため)は厳重をきわめた。
4.インターネットの「GeNii学術コンテンツポータル」( http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/ )で「大名 人質」で検索すると、「歴史読本」第43巻第1号(新人物往来社 1998.1)p160-165の記事「大名妻子人質計画:参勤交代と証人の制度化)」(村井益男著)がヒット。江戸幕府の大名に対する政策として、領国。江戸間を往復させる「参勤交代」制度と、大名の妻子を江戸屋敷に住まわせる「証人」制度があるとして、それぞれの解説がある。
5.再度、歴史辞典類で「証人」制度について調査。
・『国史大辞典』第7巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1986年)→p591「証人」の項あり、「…江戸幕府は慶長十四年、元和八年(一六二二)などいくつかの画期を経ながら諸大名妻子の江戸居住を義務づけ、また大名家臣の子弟を質として江戸に置くことを命じた。妻子の江戸居住は幕末の文久二年(一八六二)まで続いた」などの記述。
・『日本史大事典』第3巻(平凡社 1993年)→p1264-1265「証人制度」の項があり、「近世初期、江戸幕府が、諸大名の妻子や家老など重臣の子弟を証人すなわち人質として江戸に置かせた制度」などの記述。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』第7巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1986年) (p591)
- 『日本史大事典』第3巻(平凡社 1993年) (p1264-1265)
- 『参勤交代(日本歴史叢書新装版)』(丸山雍成著 吉川弘文館 2007年) (p31-32)
- 「歴史読本」第43巻第1号(新人物往来社 1998.1) (p160-165)
- キーワード
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- 証人
- 証人制度
- 人質
- 大名
- 江戸幕府
- 江戸時代
- 参勤交替
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000105256