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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
大阪府立中之島図書館 (2120002)管理番号
(Control number)
6001037173
事例作成日
(Creation date)
2019/02/28登録日時
(Registration date)
2019年03月20日 00時30分更新日時
(Last update)
2019年04月06日 00時30分
質問
(Question)
江戸時代以降大阪の地場産業だった、将棋駒造りの歴史について書かれた文献を探している。
回答
(Answer)
確認した資料のうち、大阪における、産業としての将棋駒製造に関連する記述があった資料は、次のとおりです。
江崎政忠著「将棋の駒」『上方[復刻版] 31号』(新和出版 1969)p.44-47
上方郷土研究会、1933年刊の復刻です。
p.45 「徳川幕府末世より今日に至る迄、我国全般に将棋駒を製造、供給、販売せる処は、山形県天童町と、我大阪市との二ケ所に限られたるものなり。」
「大阪は主として広く公衆需要に応ずべき、所謂並製品を主とし」
p.47 昭和七年三月に締結した将栄会将棋駒同業者組合契約書によると、「其組合員総て11名にして、何れも天王寺を中心として居住し、其家庭に於て執業するものなり」と書かれています。

『日本文化としての将棋』(尾本惠市/編著 三元社 2002.12)
収録されている、増川宏一著「江戸時代の将棋」(p.164-178)に「大阪城跡、高槻城跡からも将棋駒が発見されている。」との記述があります(p.165)。
また、熊澤良尊著「水無瀬駒を探る-将棋駒・その伝統と文化について」(p.251-274)には、次の記述があります。
「江戸時代では、商業や流通が発達し広く町人文化が興る中で、将棋人口は増大し、大坂・京・江戸辺りで駒づくりの専門職人が派生して生産が拡大する。」(p.259)
p.261-274「六 水無瀬駒」に水無瀬駒についての説明がありますが、大阪の地場産業としての駒造りについての記述は見当たりませんでした。

『大阪の地名由来辞典』(堀田暁生/編 東京堂出版 2010.8)p.104-105
「唐物町の項目に、「江戸時代の記録(『難波丸綱目』)によると、この町には将棋駒・革細工・皮足…(中略)など多様な職種の者が居住していたことがわかる」
との記述があります。

『校本難波丸綱目』(多治比郁夫/編輯 中尾松泉堂書店 1977)
「近世大坂の人名録・商工案内・地誌」である延享5(1748)年刊行の『難波丸綱目』の影印が収録されています。このなかに「将棊」4軒、「中将棊」1軒の店が記載されています(p.156)。
また、同じく『難波丸綱目』の安永6(1777)年版の影印も収録されていますが、こちらにも「将棊」として4軒が記載されています(p.502)。

『将棋展 将棋の文化とさまざまな将棋駒』(大阪商業大学商業史博物館 2007.6)
「展示品で観る将棋駒の鑑賞法」(p.40-45)に次の記述があります(p.42)。
「大阪独特の伝統的な彫り駒にごんた駒(No.33[展示出品番号])がある。彫りが深く、書体も個性的なことが特徴である。また、大阪での駒作りは、天童のそれより古い歴史がある。」
また、「大阪城跡出土駒」の解説がありますが(p.22-23)、駒製造に関する記述はありません。

以下の資料では、将棋駒に関して大阪と関連した内容の記述はありましたが、産業(地場産業)としての記述は見当たりませんでした。
『将棋庶民史』(山本亨介/著 朝日新聞社 1972)
p.255-266 第十七章 将棋駒の歴史
p.256 「大阪府下の水無瀬神宮には<古将棋之図>と共に、水無瀬駒が伝えられる。」
p.264 「大阪彫り」の説明が3行ほどあり、「大阪には、大阪彫りといわれる独特の伝統がある」といった記述がありますが、産業としての駒造りについての記述は見当たりませんでした。

『将棋 [1](ものと人間の文化史)』(増川宏一/著 法政大学出版局 1977)
「Ⅳ 駒と盤」(p.137-174)に将棋駒についての記述があり、p.154-155には水無瀬駒の記述がありますが、大阪での駒製造に関する記述は見当たりませんでした。

『水無瀬駒』(大阪府島本町文化財保存協会/[編] 大阪府島本町役場 1959)
水無瀬家と水無瀬駒について解説されていますが、大阪における駒製造に関する記述はありませんでした。

インターネット情報として、山形県天童市のホームページの「天童と将棋駒」( http://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/syougikoma.html )には、
「明治末期から大正時代になると天童や大阪等の産地で大量生産の体制に入り」
「大阪は天童以前の大衆駒の生産地であった」
「大阪彫り」「米沢藩は大阪から駒師を招聘して駒造りが行われた」とあります。
(2019年2月26日確認)

以下の資料も確認しましたが、将棋駒造りについての記述は見当たりませんでした。
『将棋文化史』(山本亨介/著 光風社書店 東京 1973.11)
『将棋百年 改訂新版』(山本武雄/[著] 時事通信社 1976)
『将棋 2(ものと人間の文化史)』(増川宏一/著 法政大学出版局 1985.11)
p.161-172「Ⅴ町人への浸透 18世紀 2大阪周辺」がありますが、将棋が広まったとの記述のみで、駒造りの記載はありませんでした。
『将棋文化史』(山本亨介/著 筑摩書房 1980.12)
p.205-207「五 駒の銘」がありますが、大阪彫りや駒造りに関する記載はありませんでした。

『大阪商工名録 大正14年改正』(大阪商工会議所 1925)
「商品索引」の「将棋駒」の項から、2軒の業者が掲載されていることが分かりますが、いずれも「卸売」で「製造」ではないようです。
この資料は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で本文の閲覧が可能です。
「大阪商工名録. 大正14年改正」(国立国会図書館デジタルコレクション)(2019年2月26日確認)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017985/30
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017985/172
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017985/303

『大阪市商工名鑑 大正15年度用』(工業之日本社 1926)
p.297 合資会社方円商会で1軒掲載されていますが、「×碁石 ×碁盤及び将棋盤 碁笥 駒」となっており、×印が製造なので、「駒」は販売です。

〔事例作成日:2019年3月1日〕
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
将棋  (796 10版)
参考資料
(Reference materials)
上方 [復刻版] 復刻版 上方郷土研究會 新和出版  3(下)
日本文化としての将棋 尾本/惠市∥編著 三元社 2002.12
大阪の地名由来辞典 堀田/暁生∥編 東京堂出版 2010.8
校本難波丸綱目 多治比/郁夫∥編輯 中尾松泉堂書店 1977
将棋展 大阪商業大学商業史博物館 2007.6
将棋庶民史 山本/亨介∥著 朝日新聞社 1972
将棋 [1] 増川/宏一∥著 法政大学出版局 1977
水無瀬駒 大阪府島本町文化財保存協会∥[編] 大阪府島本町役場 1959
http://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/syougikoma.html  (山形県天童市のホームページ)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
大阪
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000253292解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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