レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/05/22
- 登録日時
- 2014/08/28 00:30
- 更新日時
- 2014/08/28 00:30
- 管理番号
- 6001003682
- 質問
-
解決
ユズの古くからの産地として「埼玉県毛呂山町」「京都市嵯峨水尾」「箕面市止々呂美」があげられている次のウェブサイトがあるのですが、その根拠となる資料をさがしています。
埼玉県毛呂山町「ゆずの歴史と桂木ゆず」(2014/7/1現在)
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1285041220389/index.html
箕面市の資料等には「古くからの特産物」程度の記述しかありません。
『果樹全書 特産果樹』(農山漁村文化協会 1985年)のユズのページに、「村上節太郎によると」という前置きがあり、このサイトと同様の記述があるのを確認しました。
元愛媛大学教授・故村上節太郎博士の文献を探したところ、『現代地理講座 第7巻』に記述はなく、『柑橘栽培地域の研究」(村上節太郎著 愛媛出版協会 1967 JP番号68001889)がありました。当館では閲覧できませんので、内容をご確認いただけないでしょうか。
こちらに記述がなければ、愛媛大学紀要に掲載の論文「日本の柑橘栽培地域の地理学的研究1 分布限界と栽培先進地」を確認してみようと考えています。もちろん他の資料で解決できれば上記のものでなくて結構です。
- 回答
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国会図書館デジタルコレクション『柑橘栽培地域の研究』(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)を確認したところ、柚子の栽培の年代に関する記述として、次のようなものがありました。(2014/7/8現在)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2515999
「埼玉県毛呂山町」について
p.170(コマ番号111)に「戦前は枇杷・桃・柑子が多かったが、最近は柚子が60%・柑子30%で・温州蜜柑は10%である。桂木の柚子の販路は東京で、1945年よりトラックで出している。昔は俵や籠の22.5kg入の容器が、昭和初から石油箱に、戦後には半石箱に変ったが、1951年より7.5kg入りの木箱に改良された。」とあります。また、p.652(コマ番号352)に「桂木柚子のレッテルで規格の2貫箱に入れ、トラックや三輪車で1953年当時は神田市場に出していた。」とあります。
「京都市嵯峨水尾」について
p.261(コマ番号156)に「雍州府誌(1684年出版)に次の如く出ていて、昔からの柚子の名産地である。「柚=所々出嵯峨並水尾所有其形大而味亦佳」とある。1908年の京都府園芸要鑑によれば、当時嵯峨村に4ha栽培されている。」とあります。また、p.657(コマ番号354)に「藩政時代に京都の街に柚餅子を馬の背で運んだその箱(写真305)が残っている。」との記述があります。なお、写真305はp.811(コマ番号431)になります。
「箕面市止々呂美」について
p.658(コマ番号355)に「止々呂美柚子は1960年までは生田伊太郎(1910~)が纒めていたが、最近は農協が生産の半分を扱い、半分は池田市尊鉢町の藤井商店など業者が立木買いしている。」とあります。
その他の資料については次のものが確認できました。
「埼玉県毛呂山町」について
毛呂山町ホームページ「ゆずの歴史と桂木ゆず」に『新編武蔵風土記』の記載がありましたので、中央図書館所蔵の『新編武蔵風土記稿 57 入間郡』(内務省地理局 1884)【当館請求記号:291/S13/1 個人貸出不可】を確認したところ、瀧野入村の項目に「土産(中略)柚實是モ數十駄ヲ出ス」との記述がありました。
『新編武蔵風土記稿』は国会図書館デジタルコレクションでもインターネット公開されています。(2014/7/8現在)(コマ番号54)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764003
「京都市嵯峨水尾」について
『柑橘栽培地域の研究』で紹介されていた『雍州府誌』ですが、中央図書館所蔵の『江戸後期諸国産物帳集成 第8巻 諸国産物帳集成 飛驒・山城・紀伊』(科学書院 2005)【602.1/124N/8 】に『雍州府志(巻六・土産)』が収められており、p.175にその記述がありました。
「箕面市止々呂美」について
既に調査された資料があるかもしれませんがお知らせします。(※は箕面市立図書館でも所蔵されています)
・『止々呂美村誌』(止々呂美村役場 1931)【378/103/#】※ 中之島所蔵
園芸農産物の項に「柚は古い特産物の一つである」(p177)。同頁の収穫年度表で、柿と梅と柚が表されています(単位は円)。年度は、明治38年度、42年度、45年度、大正5年度、10年度、13年度、昭和2年度、昭和3年度。(参考:明治38年度は9円、昭和3年度は1583円)
・『大阪の果樹農業 昭和51年果樹基本統計調査結果報告書』大阪府企画部統計課1977年【812/2813/#】 中央・中之島所蔵
昭和51年7月1日現在で実施した調査結果のうち、大阪府の概要を収録したもの。
付表7「果樹種類別栽培状況」(p5)のなかで、ゆずは34戸(大阪府内の構成比0.4%)、栽培面積236アール(府内の構成比0.1%)。
果樹種類別の「ゆず」(p79)には栽培市町村名があり、箕面市が栽培農家数は32戸(10アール以上が1戸)、栽培面積210アール(うち結果樹面積196アール)、他は岸和田市と和泉市が各1戸ずつでした。
次の資料には、お調べの内容は見当たりませんでした。
・『明治中期産業運動資料』第8巻 1・2 農事調査 【802/573/#】中央・中之島所蔵
明治23年調査。
第8巻2に、豊島郡の記述あり(p78オモテ~p89ウラ)。農産種目に蜜柑はあるが、柚子はありません。付図「攝津國豊島郡農産地圖」(p80とp81の間)には、地図中の村名のそばに、村の農産物名が書かれており、「止々呂美村」には米、稞麥(ハダカムギと思われる)、菜種、柿、栗、枇杷の6種が書かれています。
・『箕面市行政史料集 2 止々呂美村事務報告書』【318.2/273N/2】※
「大正十四年度豊能郡止々止(ママ)美村事務報告」に挙げられた、果実収穫高及価格(p115)には、梅、栗、生柿、枇杷の4種が挙げられています。
・『大阪府の柑橘』大阪府農会1928年【833/159/#】中之島所蔵
柑橘の産地として「豊能郡は二百餘年前から徐々に発達した箕面、秦野、池田、櫻井谷村などがある」(p3)とあり、柚子についての記述はありません。
・『明治前期産業発達資料 別冊110-2 大阪府和歌山県柑橘業調査報告書』明治文献資料刊行会 1972年【802/439/#】中之島所蔵
明治37年調査。「大坂府ノ柑橘」(p41-60)は、生産の多い泉北郡山瀧村を見聞した内容がほとんどで、柚子については記述はありません。
・『大阪府柑橘誌』【625.3/8N】中之島所蔵
豊能郡についての記述はありますが、柚子についての記載はありません。
・『大阪府農業史』【612.1/67N】中央・中之島所蔵
・『大阪府青果物流通統計年報』【621.4/61N】中之島所蔵 昭和40、昭和42、昭和47を確認
・『大阪市中央卸売市場青果物流通年報 果実篇 昭和50年』【621.4/62N】中之島所蔵
・『箕面市勢要覧 昭和33年度版』1958年【435/2173/#】中之島所蔵
・『大阪府誌 第3巻』、『摂津名所図会』、『摂陽群談』ほか
・『もみじだより』2009年11月 NO.711 p2-5「箕面の柚子」※
・『箕面地域の植物調査』大阪府農林部林務課 1961年【655/585/#】※
・『箕面の自然 その生態学的基礎研究』1967年【605/23】※
[事例作成日:2014年7月8日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 果樹園芸 (625 8版)
- 参考資料
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- 江戸後期諸国産物帳集成第8巻安田/健∥編科学書院 (175)
- 新編武蔵風土記稿57内務省地理局 (瀧野入村の項目)
- 止々呂美村誌小上/奝諄∥編輯止々呂美村役場 (177)
- 大阪の果樹農業昭和51年大阪府企画部統計課∥編集大阪府企画部統計課 (5,79)
- キーワード
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- 柚子(ユズ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪,地名・地域,その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000158961