レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/16
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043264
- 質問
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解決
大坂船手奉行をつとめた小浜嘉隆の略歴が知りたい。
- 回答
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大坂船手に関する資料のうち、以下の資料に小浜嘉隆もしくは小浜家について記載がありました。
・『寛政重修諸家譜 第16』(続群書類従完成会 1981)
p.399に「小浜嘉隆」の記述があります。
「慶長十九年大坂御陣に父とおなじく、したがひ(後略)」「寛永九年八月十四日御船手となり(後略)」「[寛永]十九年七月十九日奉書もて父が遺跡をたまひ大坂の御船手となり、(後略)」「寛文四年三月二十三日死す。」「芳名性瑞。葬地光隆におなじ。」
なお「小浜光隆」の記述もp.399にあり、葬地は「摂津国西成郡加嶋村の富光寺」とあります。
・『大阪墓碑人物事典』(近松誉文/著 東方出版 1995.11)
p.199に「富光寺」(高野山真言宗。大阪市淀川区加島四丁目)に「小浜嘉隆」の記述とともに墓碑があることが記載されています。
・『東淀川区史』(川端直正/編集 東淀川区創設三十周年記念事業委員会 1956)
p.478-479に「富光寺」の記述があり、「堺鉄砲指南役小浜民部丞嘉隆の碑がある。」(p.478)との一文があります。
・『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989.3)
「川尻浜手の開発」の項(p.545-548)に、小浜嘉隆の父「小浜光隆」についての記述があります。
「元和六年大坂船手頭就任以来川口屋敷を構え、寛文五年まで在任した小浜民部少輔家は三代にわたって(中略)五三七〇石を領有して浜手開発に大きな影響を与えた」(p.545)
「元和六年、幕府は新たに小浜光隆を大坂船手頭に任じ、(中略)その船手屋敷と家臣の屋敷を衢壤島北端の川口に設置した」(p.547)
・吉田洋子/著「大坂船手の職務と組織」(『大阪の歴史 73号』大阪市史料調査会 2009.7)p.47-82
大坂船手の組織や職務についての記述の中に、小浜嘉隆もしくは小浜家について記載があります。
〔事例作成日:2020年3月16日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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- 寛政重修諸家譜 第16 新訂 続群書類従完成会 1981
- 大阪墓碑人物事典 近松/誉文∥著 東方出版 1995.11
- 東淀川区史 川端/直正∥編集 東淀川区創設三十周年記念事業委員会 1956
- 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1989.3
- 大阪の歴史 大阪市史編纂所 大阪市史料調査会 <69-73>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279929