レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/04/25
- 登録日時
- 2014/03/28 00:30
- 更新日時
- 2014/05/02 11:43
- 管理番号
- 所沢本-2013-012
- 質問
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解決
東海道五十三次と言われているが、本当はさらに四宿あり五十七次と聞いたが、裏付けできる文献とその宿はどこか。
- 回答
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『世界大百科事典 19巻』(平凡社)の「東海道」の項目に、「…大津から、伏見、淀、枚方、守口の4宿を経て大阪に至る京街道も東海道の延長とみなされる…」の記述があります。
また、以下の資料にも記載があります。
〇『東海道分間延絵図』 第23巻 東京美術 1985年
〇『東海道分間延絵図』 第24巻 東京美術 1977年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『東海道分間延絵図』第23巻 大津追分・伏見・淀の解説編
→序文に、「東海道は品川から大津まで五十三宿あり、本道は京都に入る。しかし大津から伏見・淀・枚方・守口の四宿を経て大阪に至る街道も東海道である。」と記述あり
〇『東海道分間延絵図』第24巻 枚方・守口・大阪の解説編
→序文に、「東海道は品川から大津までの五十三次のほかに、大津から分かれて大阪に至る間に、伏見・淀・牧(枚)方・守口の四宿がある。~中略~大阪からは伏見を通って京都に向かう街道で、京街道ともよばれたが、幕府としては東海道の一部としていた。」と記述あり
〇『世界大百科事典』19巻東海道の項目P.524に「…大津から、伏見、淀、枚方、守口の4宿を経て大阪に至る京街道も東海道の延長とみなされる…」の記述あり。
△『日本交通史辞典』P.609
“東海道”の解説に「江戸日本橋より京都までの街道と大津より分かれて大阪に至る街道をいう」という記述あり。
「江戸と京都との間に五十三宿が置かれて、東海道五十三といわれた。また、大津ー大阪間にも四宿置かれた」という記述あり。
△『日本街道総覧』P.101図中解説に、「大津、追分・・」とあるが宿名など不明
※以下の資料には記述なし
×『日本の街道ハンドブック』
×『東海道五十三次ハンドブック』
×『事典日本古代の道と駅』
×『日本古代道路事典』
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
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- 世界大百科事典 19 平凡社 2007.9 031
- 日本交通史辞典 丸山雍成/編 吉川弘文館 2003.9 682.1 4-642-01339-3
- 日本街道総覧 宇野脩平/編集 新人物往来社 1976 682.1
- 東海道分間延絵図 第23巻 東京美術 1985.2 291.5 4-8087-0263-0
- 東海道分間延絵図 第24巻 東京美術 1977 291.5
- キーワード
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- 東海道
- 五十三次
- 街道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地図・地名
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000151501