レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/11/25
- 登録日時
- 2020/12/13 00:30
- 更新日時
- 2020/12/13 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200052
- 質問
-
未解決
七北田という地名は、なぜ「ななきたた」「ななきただ」ではなく、「ななきた」なのか。「ななきた」という読みなら「田」は要らないと思うが、なぜ「田」が付いているのか知りたい。
- 回答
-
1 「七北田」との表記と「ななきた」との読み方の関係について,下記資料を確認しましたが,関連する記述は見あたりませんでした。
資料1 七北田村誌編纂委員会編『七北田村誌』七北田村, 1953【K225.5/ナ1】
資料2 泉市誌編纂委員会編『泉市誌 上巻』泉市, 1986【K225.5/イ1/1】
資料3 泉市誌編纂委員会編『泉市誌 下巻』泉市, 1986【K225.5/イ1/2】
資料4 佐藤貢編『泉市誌 追録』仙台市, 1991【K225.5/イ1/3】
資料5 七北田村を探る編集委員会編『七北田』新しい杜の都づくり泉区協議会, 1995【K380/1995.5】
資料6 仙台市史編さん委員会編『仙台市史 資料編3 [別冊]』仙台市, 1997【K225/セ1-13/12B】
資料7 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 32』宮城県史刊行会, 1970【K201/ミ1/32】
資料8 『仙台叢書 第15巻』宝文堂出版販売, 1972【K081/セ1-2/15】
資料9 今野印刷株式会社[編]『仙台領の地誌』今野印刷, 2001【K290.1/2001.2】
資料10 『日本名所風俗図会 1』角川書店, 1987【K292/ニ3/タ】
資料11 木村孝文『仙台・泉の散歩手帖』宝文堂, 1998【K292.5/1998.4】
資料12 太宰幸子『みやぎ不思議な地名楽しい地名』河北新報出版センター, 2014【K290.3/2014.X】
2 「七北田」の由来等については,下記資料に記載がありましたので参考までにお知らせします。
資料13 仙台市博物館編『泉区の歴史探し』仙台市博物館, 2016【K225/2015.3/3】
p.3.「根白石と七北田の名前の由来は?」の項
「二つの地名は,いずれも江戸時代の記録には,源頼朝に関係すると記されているものがあります。(略)七北田という名前は,頼朝が奥州合戦でこの地域を通った時設置した宿場に,後からその名が付けられたと記されています。室町時代にこの辺りに勢力を持った大崎氏が,その宿場が北に七つの村が見える「田丁」(田と集落)なので「七北田村」と名付けたそうです。」
資料14 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 24』宮城県史刊行会, 1954【K201/ミ1/24】
p.266.「宮城郡七北田村風土記御用書出」
「七北田」の由来に関する江戸時代の記録です。
資料15 平凡社地方資料センター編『宮城県の地名』平凡社, 1987【K290.3/ミ43】
pp.372-373.「七北田村」の項
延享2年(1745)のものとみられる記録に「ななきた」と表記されているとの記述があります。
資料16 菊地勝之助『宮城県地名考』宝文堂, 1970【K290.3/キ1】
pp.403-404.「七北田(ななきた)」の項
- 回答プロセス
-
1 宮城県の地名に関する資料を確認したが,「七北田」という表記と読みに関する記述は確認できなかった。
2 旧七北田村および旧泉市の地誌類を確認したが,「七北田」という表記と読みに関する記述は確認できなかった。
3 上記調査のなかで,「七北田」の名称の由来について記述がある資料,また江戸時代中期に「ななきた」と表記されていたことが分かる資料があったため,参考までに提供した。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
- 仙台市博物館/編. 泉区の歴史探し. 仙台市博物館, 2016.9【K225/2015.3/3】:p.3
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 24. 宮城県史刊行会, 1954【K201/ミ1/オ24】:p.266
- 平凡社地方資料センター/編. 宮城県の地名. 平凡社, 1987【K290.3/ミ43】:pp.372-373
- 菊地勝之助/著. 宮城県地名考. 宝文堂, 1970【K290.3/キ1】:pp.403-404
- キーワード
-
- 宮城県仙台市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000290621