レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年06月20日
- 登録日時
- 2014/06/22 10:31
- 更新日時
- 2015/06/21 15:01
- 管理番号
- 相大-H26-001
- 質問
-
解決
相模原市の国立相模原病院(独立行政法人国立病院機構相模原病院)の近くに、以前「新戸向出口」という地名があった。
①「新戸向出口」の読み②その当時の地図・写真、また現在の場所のどの辺にあたるかについて調べたい。(特に「新戸出口1872付近」の住所が特定できれば知りたい)
- 回答
-
①「新戸向出口」は「シンドムカイデグチ」と読む。
②現在の相模原市相模台2~5丁目付近。「新戸出口1872」は「相模台5丁目」になる。
以下の資料を提供する。
・『相模原市土地宝典(大字:当麻・下溝・麻溝台・磯部・新戸・新磯野編)』
・ 国土地理院2万5千分の1地形図『原町田』(昭和4年発行、昭和32年発行、昭和42年発行)
・『軍都郷土史 補講編』
・『ゼンリン住宅地図 神奈川県相模原市南区2013』
「国土地理院地図・空中写真閲覧サービス」の情報を提供する。
- 回答プロセス
-
①地名について調べる。参考資料291、郷土資料の棚をさがす。
『角川日本地名大辞典 14神奈川県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1984 【R291 s06529572】
p498 「新戸」の項あり。
「明治22年~現在の大字名。はじめ新磯村、昭和16年に相模原町、同29年からは相模原市の大字。(略)同44年相模台1~2丁目、相武台1~3丁目となる」の記述あり。
『地名調査報告書』 相模原市教育委員会/編 相模原市 1984 【K1-29 s09291568】
p51-52 「新戸村シンドムラ」の項あり。古文書の地名に「むかい出口」あり。
「新戸向出口」は「シンドムカイデグチ」と読む。
②当時の地図等と現在の場所をさがす。
『相模原市土地宝典(大字:当麻・下溝・麻溝台・磯部・新戸・新磯野編)』伊藤松之助/編 帝国市町村地図刊行会 1962 【K1-29 s09291568】
13図、14図に「新戸向出口」の地名あり。図内に「新戸出口1872」の住所も記載されていた。
国立相模原病院の場所と用水路が現在は「さがみの仲よし小道」という緑道になっているという利用者の話から、
国土地理院2万5千分の1地形図 『原町田』(昭和4年・昭和32年・昭和42年発行)
『ゼンリン住宅地図 神奈川県相模原市南区』 ゼンリン 2013 【R291 s26315671】を確認する。
上記資料を合わせて、現在の相模台5丁目が「新戸出口1872付近」とわかる。
③写真をさがす。
郷土資料でさがすが適当な写真見当たらず。
国土地理院ホームページの地図・空中写真閲覧サービスで昭和36年10月撮影の該当地域の写真があった。情報を利用者に提供する。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do(2014.06.22最終確認)
国立相模原病院近くとのことから、下記の資料を提供する。
『軍都郷土史 補遺編』 涌田 佑/著 涌田先生の話を聞く会 2010 【K1-39 s30055628】
p61-74「四章 臨時東京第三陸軍病院(略称「臨東三」。現在の国立相模原病院)」の章あり。
昔の付近の写真、病院正門の写真あり。
注:【 】内は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
-
- 『相模原市土地宝典 (大字:当麻・下溝・麻溝台・磯部・新戸・新磯野編)』 伊藤松之助/編 帝国市町村地図刊行会 1962
- 『軍都郷土史 補遺編』 涌田 佑/著 涌田先生の話を聞く会 2010
- 『角川日本地名大辞典 14神奈川県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1984
- 国土地理院2万5千分の1地形図『原町田』 (昭和4年・昭和32年・昭和42年発行)
- 『地名調査報告書』 相模原市教育委員会/編 相模原市 1984
- 『ゼンリン住宅地図 神奈川県相模原市南区』 ゼンリン 2013
- キーワード
-
- 新戸向出口
- 国立相模原病院
- 相模原市
- シンドムカイデグチ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
利用者は相模原市の国立相模病院近くの「相模台ハイツ」という団地の歴史を調べている。
50年ぐらい前に引っ越してきた頃、新戸という住居表示だったと思う。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000154931