レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/03/18
- 登録日時
- 2013/07/19 00:30
- 更新日時
- 2013/07/24 11:21
- 管理番号
- 0000000039
- 質問
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解決
新潟を含む北陸地方は「越の国」と呼ばれる。新潟県中部は「北越」、福井県中部は「南越」、富山県は「中越」と呼ばれ、会社名にもあるが、石川県は「○○越」という呼び方をするか。
- 回答
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現在、「○○越」という呼び方は一般的ではないが、古代には現在の石川県は「越」の一部であり、「越前国」や「越中国」に含まれていた。823年(弘仁14)までに、加賀国・能登国が成立した。
- 回答プロセス
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「越(こし)」とは
・北陸地域の主要郡の古称。律令体制成立以降の北陸道(ほくろくどう)のうち、若狭国と佐渡国を除いた残りの地域と、東北日本の日本海沿岸全域を指す。(略)持統期と推定される国評制(のちの国郡制)の施行によって、越は、越前国・越中国・越後国に三分されて、国が設定され、越の域外にあった若狭国と佐渡国を合わせて北陸道が編成された。
(出典:『角川日本地名大辞典 17 石川県』角川書店 1981年(請求記号:K290.3/228)p376-377「こし 越」の項)
・『孝徳記』大化元年(645)に「越国」で初見するが、『古事記神代』には「高志国」とあり、古代の北陸道の大半を占めていた大国。大化の改新後、「越前・越中・越後」に分かれ、後に越前国より「加賀・能登」の二国が成立した。
(出典:吉田茂樹著『日本古代地名事典』新人物往来社 2001年(請求記号:R291.03/10038)p95「こし[越]」の項)
・律令国郡制施行以前の北陸地方の汎称。(略)690年(持統天皇4)ごろ施行された国郡制によって、越前(加賀・能登を含む)・越中・越後が分立し、越は文芸史上に名をとどめることになった。
(出典:『書府太郎』上巻 北國新聞社 2004年(請求記号:K030/1003/1)p302「越(こし)」の項)
『金沢市史 通史編1 原始・古代・中世』金沢市 2004年(請求記号:K222/125/3-1)p204「越の変遷図」
8世紀前半ごろ:現石川県は「越前」に含まれる
8世紀後半ごろ:「能登」が分かれる
823年以降:「越前」「加賀」「能登」に分かれる
「加賀」「能登」はいつ成立したか
・『書府太郎』上巻の「加賀立国」(p255)、「能登立国」(p386)が簡潔にまとまっている。
718年(養老2)、越前国の羽咋、能登、鳳至、珠洲の4郡が能登国として分離、独立(第1次能登立国)
741年(天平13)、能登国は廃止され、越中国に併合
751(天平勝宝9)、能登国が越中国から分離・独立(第2次能登立国)
823年(弘仁14)、越前国の江沼郡と加賀郡を割いて加賀国が立てられる
余談ながら、『コンサイス日本地名事典 第5版』三省堂 2007(請求記号:R291.03/10072)に、「南越」(p915)、「中越」(p781)の項はあったが、「北越急行」(p1105)はあっても「北越」はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 1 角川日本地名大辞典 17 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1981.7 K290.3/228 p376-377 「こし 越」の項
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2 日本古代地名事典 吉田/茂樹?著 新人物往来社 2001.12 R291.03/10038 p95 「こし[越]」の項 -
3 書府太郎 上巻 北國新聞社 2004.11 K030/1003/1 p255,p386 「加賀立国」、「能登立国」 -
4 金沢市史 通史編1 金沢市史編さん委員会∥編集 金沢市 2004.3 K222/125/3-1 p204 「越の変遷図」
- キーワード
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- 越
- 加賀国
- 能登国
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000134001