レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/01/10
- 登録日時
- 2016/04/08 00:30
- 更新日時
- 2016/04/09 00:30
- 管理番号
- 6001014263
- 質問
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解決
和歌山県日高郡みなべ町堺では端午の節句にこいのぼりを揚げないそうだが、その理由が載っている資料を探しています。
- 回答
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・『南部町史 通史編第3巻』(南部町史編さん委員会/編集 南部町 1996.3)
第5章1節に「堺の民話伝説」に関する記述があります。そこに「6鯉のぼりを出さぬ里」という項があり、以下のとおり記されています。
「この里では昔から端午の節句がきても、鯉のぼりを立てぬ慣わしになっている。これについて次のような伝説がある。
源平の昔のことである。壇の浦で敗れた平家の落武者が、小船に乗ってこの浦に流れついて住みついた。ある年の五月の節句に平家の赤い吹流を立てていたのが、残党狩りにきた源氏方の武士に見つかり、一族が皆殺しにされた。堺の人々は深く哀れに思い、彼等の霊をなぐさめるために、その後は吹流(後に鯉のぼり)を出さぬことにしたという。
一説には羽柴氏の南征のおり、湯川氏一族の一部が堺浦に住みつく者もあった。湯川氏一族であることをかくすために、家紋のあるのぼりを立てぬことにしたのが、今に伝えられているのだともいう。」(p.568-569)
引用文献として『南部民話伝説集』が挙げられていますが、どういう史料なのか所蔵館を含め不明です。『みなべの民話伝説集』(南部町教育委員会 1982)ならば和歌山県立図書館ならびにみなべ町立図書館で所蔵されています。
また「7南龍さんと平家塚」の項には次の記述があります。
「この地は平家の残党が安穏な生活をしていたが、源氏の残党狩りに見つかってしまい殺された人たちを葬ったところという話があり、埋められた国道の側に「平家塚」が建立された。毎年五月の節句には「平家祭り」が行われ、碑の前でねんごろな供養が行われている。」(p.569)
この他グーグルブックスで「鯉のぼり 平家 堺 南部」をキーワードに調査したところ下記の資料にも同様な記述があるようです。
・『落日後の平家』(永井 彦熊/著 雄山閣 1965.5)
p.273に該当する記述があるようですが、大阪府立図書館では所蔵していません。
[事例作成日:2016年1月10日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 南部町史 通史編第3巻 南部町史編さん委員会∥編集 南部町 1996.3 (568-569)
- https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/honkan/index.html (和歌山県立図書館(2015.11.11現在))
- http://tosyokan.town.minabe.lg.jp/ (みなべ町立図書館(2015.11.11現在))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000190845