レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月19日
- 登録日時
- 2011/09/19 14:58
- 更新日時
- 2011/11/02 14:49
- 管理番号
- 島根参2011-08-003
- 質問
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解決
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、雄朝津間稚子宿禰、武内宿禰、それぞれの肖像と簡単な人物像が知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より以下を紹介。
資料1:「神功皇后」「仲哀天皇」「応神天皇」「允恭天皇」「武内宿禰」それぞれの解説あり。肖像なし。
資料2:神功皇后の肖像(白黒)あり。解説には、「仲哀天皇の皇后。名を気長足姫尊、または息長帯比売命という。(中略)仲哀天皇の急死後、男装して新羅、百済に自ら兵を進めたといわれる」との記述あり。
資料3:「古代天皇家の御肖像画」として、p130「第14代 仲哀天皇」「第15代 応神天皇」、p132「第19代 允恭天皇」(「御名・異称=雄朝津間稚子宿禰尊」)に肖像画(白黒)と解説あり。
資料4:p83「神功皇后」として、図231「神功皇后と武内宿禰」(載斗Ⅱ)(カラー)があり、p96「武内宿禰」として、図268 「盟神探湯の図」(寒川輝久)(カラー)がある。人物についての解説あり。
資料5:p58「オキナガタラシヒメ」に、別名を「大帯姫(おおたらし)」、仲哀天皇妃神功皇后のことであるとして、神功皇后についての解説あり。p72「ホムダワケ(ホンダワケ)」に、応神天皇のこととして解説あり。p515~516「武内宿禰」の項目に、解説あり。いずれも、肖像画はなし。
資料6:巻頭に「神功皇后像(薬師寺所蔵)」(白黒)、p3「国定教科書の挿図」(白黒)に、国定教科書に掲載された挿絵「神功皇后はるかに新羅をのずみたまふ」に皇后の姿がある。また、p129には、「伝武内宿禰像(教王護国寺蔵)」(白黒)がある。
資料8:神功皇后の肖像(白黒)と解説あり。
資料9:応神天皇の肖像(白黒)と解説あり。
資料10:「(伝)神功皇后像」(白黒)と解説あり。
資料11:「允恭天皇」の解説あり。肖像なし。
資料12:「(伝)応神天皇像」(白黒)と解説あり。
資料13:p117「武内宿禰」の解説、p467「仲哀天皇」の解説あり。肖像なし。
資料14:神功皇后縁起絵巻(白黒)。肖像としては小さくて顔がわかりにくい。
資料15:神功皇后と武内宿禰の2人が描かれている錦絵(カラー)。
資料16:p86、89、176~179に「神功皇后像」の正面、横のカラー、後ろ(白黒)あり。
資料17:「神功皇后縁起」(白黒)あり。肖像としては小さくて顔がわかりにくい。
資料18:図572「八幡三神像」に「神功皇后」(薬師寺)(白黒)、図579「伝武内宿禰像」(教王護国寺)(白黒)あり。
資料19:「伝武内宿禰坐像」(教王護国寺)(カラー)あり。
- 回答プロセス
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(1) 歴史人物の参考資料【資料1・2・8・9】の内容を調査。【資料7】(「応神天皇」「神功天皇」「武内宿禰」あり)から、肖像が掲載されている資料の内容を調査。
(2) 自館OPACで、それぞれの名前を検索。ヒットした資料のなかで、内容を調査。
(3) 雄朝津間稚子宿禰について、インターネットで検索したところ、允恭天皇のことであることが判明。→允恭天皇の名前でも調査。
(4) 〔リサーチナビ〕http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/(最終確認2011/9/20) 「武内宿禰」で検索。
→所蔵資料【資料4・5】がヒット。
以下は調査済み資料。
・『神功皇后を読み解く』 (国書刊行会,2003.11)←表紙の写真「薬師寺所蔵・神功皇后座像」。
・『神功皇后伝説の誕生』 (大和書房,1998.5)
・『別冊歴史読本 97 記紀神話の秘密』
・『歴史読本 2011-4:第56巻第4号 ここまでわかった! 邪馬台国』
<参考として>
【資料1・2】より、
仲哀天皇・・・第14代。足仲彦天皇ともいう。皇后は神功皇后。
神功皇后・・・仲哀天皇の皇后。名を気長足姫尊、または息長帯比売命という。仲哀天皇の急死後、男装して新羅、百済に自ら兵を進めたといわれる。
応神天皇・・・父は仲哀天皇、母は神功天皇。
武内宿禰・・・『古事記』『日本書紀』に登場する伝承上の人物。4(5)代の天皇に仕えた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 神道 (170 8版)
- 参考資料
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【資料1】 『朝日日本歴史人物事典』 朝日新聞社/編,朝日新聞社,1994 ※貸出禁止資料
(p857「神功皇后」、p1069~1070「仲哀天皇」、p274~275「応神天皇」、p206「允恭天皇」、p997~998「武内宿禰」 R281/ア94/
) -
【資料2】 『日本女性肖像大事典』 永原和子/監修,日本図書センター,1995.11 ※貸出禁止資料
(p66「神功皇后」 R281/ニ95/
) - 【資料3】 『図説歴代天皇125代 永久保存版! 別冊歴史読本』 新人物往来社,2009.5 (p130「第14代 仲哀天皇」「第15代 応神天皇」、p132「第19代 允恭天皇」 288.4/ズ09/)
- 【資料4】 『原色浮世絵大百科事典 第4巻 画題』 日本浮世絵協会/編,大修館書店,1981.11 ※貸出禁止資料 (p83「神功皇后」、p96「武内宿禰」 R721.8/ニ/4)
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【資料5】 『神道事典』 国学院大学日本文化研究所/編,弘文堂,1994.7 ※貸出禁止資料
(p58「オキナガタラシヒメ」、p72「ホムダワケ(ホンダワケ)」、p515~516「武内宿禰」 R170.3/シ94/
) -
【資料6】 『人物叢書 27 神功皇后』 日本歴史学会/編
,吉川弘文館,1971 (巻頭「神功皇后像(薬師寺所蔵)」、p3「国定教科書の挿図」、p129「伝武内宿禰像(教王護国寺蔵)」 書庫280/31/27
) - 【資料7】 『歴史人物肖像索引』 日外アソシエーツ株式会社/編集,日外アソシエーツ,2010.2 ※貸出禁止資料 (p97「応神天皇」、p263「神功皇后」、p308「武内宿禰」 R281/ニ10/)
- 【資料8】 『日本肖像大事典 中巻 さ-は』 日本図書センター,199701 ※貸出禁止資料 (p56「神功皇后」 R281/ニ/2)
- 【資料9】 『日本肖像大事典 上巻 あ-こ』 日本図書センター,199701 ※貸出禁止資料 (p82「応神天皇」 R281/ニ/1)
- 【資料10】 『国史大辞典 7 しな-しん』 国史大辞典編集委員会/編,吉川弘文館,1986 ※貸出禁止資料 (p797~798「神功皇后」 R210/0532/7)
- 【資料11】 『国史大辞典 1 あ~い』 国史大辞典編集委員会/編,吉川弘文館,1979 ※貸出禁止資料 (p877「允恭天皇」 R210/0532/1)
- 【資料12】 『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会編,吉川弘文館,1980 ※貸出禁止資料 (p458「応神天皇」 R210/0532/2)
- 【資料13】 『国史大辞典 第9巻』 国史大辞典編集委員会/編,吉川弘文館,1988 ※貸出禁止資料 (p117「武内宿禰」、p467「仲哀天皇」 R210.0/コ/9)
- 【資料14】 『国宝・重要文化財大全 1 絵画』 毎日新聞社,199706 (図90「神功皇后縁起」 709.1/コ/1)
- 【資料15】 『秘蔵浮世絵大観 5』 楢崎宗重/編著,講談社,1989 ※貸出禁止資料 (図28「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」(歌川国貞(初代)) 721.8/ヒ/5)
- 【資料16】 『奈良六大寺大觀 第6巻 薬師寺』 奈良六大寺大観刊行会/編,岩波書店,1970 ※貸出禁止資料 (p86、89、176~179「神功皇后像」 書庫708/ナ/6)
- 【資料17】 『重要文化財 9 絵画編 3』 毎日新聞社「重要文化財」委員会事務局/編,毎日新聞社,1974 ※貸出禁止資料 (図85「神功皇后縁起」 書庫709/0095/9)
- 【資料18】 『国宝・重要文化財大全 4 彫刻』 文化庁/監修,毎日新聞社,1999.7 (図572「八幡三神像」 図579「伝武内宿禰像」 709.1/コ/4)
- 【資料19】 『日本美術全集 第6巻 平等院と定朝』 前川誠郎 大河直躬,講談社,1994 (図123「伝武内宿禰坐像」 702.1/ニ/6)
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【資料1】 『朝日日本歴史人物事典』 朝日新聞社/編,朝日新聞社,1994 ※貸出禁止資料
(p857「神功皇后」、p1069~1070「仲哀天皇」、p274~275「応神天皇」、p206「允恭天皇」、p997~998「武内宿禰」 R281/ア94/
- キーワード
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- 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
- 応神天皇(おうじんてんのう)
- 雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)
- 武内宿禰(たけしうちのすくね)(たけうちのすくね)(たけのうちのすくね)
- 允恭天皇(いんぎょうてんのう)
- 肖像
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000091135