レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2013/09/27 13:55
- 更新日時
- 2016/07/06 14:37
- 管理番号
- 130927001
- 質問
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解決
コッピー用紙について
①どこを経由して輸出されていたのか。
②コッピ―用紙自体の希少性はあるのか。
- 回答
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①コッピ―用紙は主に高知、岐阜で産出されていた。神戸港又は横浜港から輸出されたものとされる。
②コッピ―用紙は明治になり、和紙から洋紙へ移る過程での製品。
紙自体の用途が消えたことから歴史的な意味での希少性はあるが、その上に記録された文書・テキストの価値から
判断されるのがよい。
(参考)
コッピ―紙(コッピ―用紙)
高知県の製紙改良家吉井源太が明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品した薄葉大半紙が輸出用コッピ―用紙に最適と評され、その後コッピ―紙と呼ばれ盛んに欧米に輸出されるようになった。現在のコピー用紙とは違い幾枚も重ねて上から圧写するもの。元は雁皮製だったが、三椏を混入するようになり、租製品として信用を失っていく。又カーボン紙やタイプライターの普及などでコッピ―紙の需要も落ちていく。改良版として雁皮に紗をかけて漉いた(簀の目が残らない)ものは後の謄写版原紙へと活用されていく。
- 回答プロセス
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①当館蔵書より『和紙文化辞典』にて「コッピ―紙」の項にあたる。
②当館OPACより「吉井源太」「篠原朔太郎」「薄葉紙」のキーワードで検索する
- 事前調査事項
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質問者は当館に展示されていたコッピ―用紙をみて 質問を寄せられた。
- NDC
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- パルプ.製紙工業 (585 9版)
- 参考資料
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久米康生 著. 和紙文化辞典. わがみ堂, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002544905-00 -
渡辺 茂男/著. 土佐紙業の恩人吉井源太. いの町紙の博物館, 1986.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I007439694-00 - 原啓志. 薄葉紙の五十年(下). 紙の博物館, 2003. (製紙産業・戦後の事績をたどる(15)) 百万塔 114 p. 17-32
- 森実善四郎. 紙聖篠原朔太郎翁. 川之江, 1961. (郷土に尽くした人々) (当館請求記号 289-Sh67)
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久米康生 著. 和紙文化辞典. わがみ堂, 1995.
- キーワード
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- コッピ―紙
- コッピ―用紙
- 吉井源太
- 薄葉紙
- 内国勧業博覧会
- 篠原朔太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「篠原朔太郎」は当館に展示されたコッピー紙の作者
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000137576