レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年03月20日
- 登録日時
- 2013/07/05 17:21
- 更新日時
- 2015/03/04 18:35
- 管理番号
- 宇南13-00022
- 質問
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解決
後醍醐天皇の皇子「護良親王」が鎌倉で幽閉された場所が知りたい。
- 回答
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鎌倉の東光寺に幽閉された。明治2年7月に東光寺跡に鎌倉宮が創建され、本殿裏手には護良親王が幽閉されたと伝わる土牢がある。
- 回答プロセス
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現在の鎌倉宮のあたりにあった東光寺に幽閉される。(『鎌倉史跡散策 増補版 上』p.94)
明治2年2月,明治天皇は建武新政に尽くされ、哀しい最期をとげた護良親王の偉勲をたたえるべく、神社造営の勅命を発し、東光寺跡に同年7月それは創建された。(『鎌倉の寺社122を歩く』p.71)
本殿裏手には護良親王が幽閉されたと伝わる土牢がある。(『鎌倉の寺社122を歩く』p.71)
【追加情報 (2013年8月11日) 】
『あなたの知らない神奈川県の歴史』に、「Q26建武の新政の功労者・護良親王が幽閉された土牢とは?」(pp.76~77)という項目があることがわかった。その77ページには 「鎌倉宮には護良が幽閉されたという土牢が残されているが、実際に閉じ込めらていたのは東光寺の塗籠(厚い壁で囲われた部屋)だったともいわれている。」 とある。
【追加情報(2014年4月24日)】
『鎌倉史跡散策 増補版 上』にも、「本殿の背後に回ると『大塔宮御坐所』と記された文政十二(1829)年建立の石標が建ち、その奥に親王が幽閉されていたと伝承される『土牢』がある。『牢』は二段となった石窟で、かなり深く内部は八畳敷きほどの広さという。」「幽閉されたのはこの地にあった東光寺という寺院内の座敷牢ともいうべき部屋-『塗籠』(ぬりごめ)という三方を厚い壁で塗り込めた納戸のような部屋-で、付添いの南の御方もその部屋で親王の身辺の世話をしたというのが真実のようである。」との記載があった。(p.94)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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神谷道倫 著. 鎌倉史跡散策 : 深く歩く 上 増補版. かまくら春秋社出版事業部, 2009.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010334318-00 , ISBN 9784774004372 -
山折哲雄 監修 , 槇野修 著. 鎌倉の寺社122を歩く : 決定版. PHP研究所, 2013. (PHP新書 ; 845)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024165736-00 , ISBN 9784569810355 -
山本博文 監修. あなたの知らない神奈川県の歴史. 洋泉社, 2012. (歴史新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023517487-00 , ISBN 9784862489104
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神谷道倫 著. 鎌倉史跡散策 : 深く歩く 上 増補版. かまくら春秋社出版事業部, 2009.
- キーワード
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- 護良親王
- 東光寺
- 鎌倉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000133336