レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月05日
- 登録日時
- 2013/11/05 23:02
- 更新日時
- 2013/11/05 23:08
- 管理番号
- 20131105-3
- 質問
-
解決
句践について知りたい。
- 回答
-
句践 【こうせん】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%A5%E8%B7%B5 (2013/11/05確認)
世界大百科事典 第2版
こうせん【句践 Gōu jiàn】 ?‐前465
中国,春秋末の越の王。在位,前496‐前465年。父允常(いんじよう)以来隣国の呉とは宿敵の関係にあった。父の死後,句践が立って呉王闔閭(こうりよ)を破ると,闔閭の遺命をうけた子の夫差は,2年後に句践を会稽山に下して父の仇に報いた(前494)。許されて帰国した句践は,范蠡(はんれい)らとともに臥薪嘗胆(がしんしようたん)して会稽山の恥を忘れることなく力を養って20年,ついに前473年に呉を討ってこれを滅ぼした。
勾践(こうせん) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8B%BE%E8%B7%B5/ (2013/11/05確認)
(?―前467)
中国、春秋時代末の越(えつ)の王(在位前496~前467)。江蘇(こうそ)の大国呉(ご)の王闔閭(こうりょ)が、父允常(いんじょう)の死に乗じて攻め寄せたのを迎え撃ち、敗死させた。いわゆる臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事は、夫差(ふさ)と勾践が恥を忍び復讐(ふくしゅう)を成就させたことで有名。『十八史略』に「臥薪」を夫差、「嘗胆」を勾践の事績とするが、そもそも『左伝』に見える説話では、「臥薪」(の元の話)、「嘗胆」いずれも勾践の事績で、「坐臥のたびに胆を仰ぎ、飲食のたびに嘗胆する」であった。いずれにしても夫差はその恥を忘れず勾践を降伏させ、勾践もその恥を忘れなかった。勾践は文種(ぶんしょう)、范蠡(はんれい)を重用して富国強兵につとめ、夫差が中原に覇をとなえるべく黄池の会にでかけたすきを突いて、呉に攻め入った。夫差の意図は頓挫する。以後勾践は連年呉を攻め、前473年、夫差を自害させ呉を滅ぼした。そして勢いに乗じて北進し、斉(せい)、晋(しん)や諸侯と会盟して覇を唱えた。勾践はのちに五覇の一に数えられている。・・・
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 越
- 臥薪嘗胆 がしんしょうたん
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000140045