レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/05/02
- 登録日時
- 2019/08/07 00:30
- 更新日時
- 2019/08/09 00:30
- 管理番号
- 6001037531
- 質問
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解決
松山の道後温泉駅前の句碑「伊予とまうす国あたたかにいで湯わく」の作者・森盲天外について知りたい。
- 回答
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●概論
・『盲人たちの自叙伝 2 一粒米』(谷合侑/監修 大空社 1997.6)
盲天外の自伝。写真や年譜、俳句(孤鶴・盲天外名義)なども所収されています。
・『伊予の俳人たち:江戸から明治へ (えひめブックス)』(池内けい吾/著 愛媛県文化振興財団 2005.3)
p.192-211 生い立ち、俳人としての業績、地方政治家としての業績などが記されています。
・『愛媛県史 人物』(愛媛県史編さん委員会/編集 愛媛県 1989)
p.634 「元治元年~昭和9年(1864~1934)余土村長・県会議員、社会運動家。(中略)27年30歳のとき上京して治療を受けるが、29年両眼とも失明、再三死を考えるが、食事中膝に落とした一粒の米を手にして悟るところがあり、京都比叡山で修業(中略)31年村民の懇請で郷里余土村の村長に就任。」「正岡子規に師事して「天外」の号を受けたが、自らは「盲天外」と称した。」とあります。
・『愛媛県史 近代 上』(愛媛県史編さん委員会/編集 愛媛県 1986)
p.922-927 「五 地方改良運動と模範村 余土村是と模範村」に模範村余土村の村長であった森盲天外(本名恒太郎)の活躍ぶりが記されています。
p.959 「四 郷土の文学 1 俳句・川柳」の章では、明治24年発行の孤鶴(後の盲天外)の俳誌「はせを影」が紹介されており、「孤鶴の俳句幽玄論などは見逃せぬ説である。」と記述されています。
・『愛媛県史 資料編 文学』(愛媛県史編さん委員会/編集 愛媛県 1982)
p.1089-1090 「文学人名録」に「森盲天外」の項があります。
・『愛媛県史 文学』(愛媛県史編さん委員会/編集 愛媛県 1984)
p.864-865 「三 伝記・自叙伝 第二期」に森盲天外の『一粒米』(明41)、『世にも稀なる盲目村長と余土村の自治』(昭10)などが挙げられています。
・『松山市史料集 第12巻 近・現代編』(松山市史料集編集委員会/編 松山市 1985.4)
p.959 (7)はせを影「論説」(明治)廿四年八月十日)(第壱號抜粋)
●余土村長時代について
・『我が村:公民物語』(森恒太郎/著 自治協会出版部 1923)
・『世にも稀なる盲目村長と余土村の自治』(石田伝吉/著 弘明堂書店 1935)
<インターネット情報>
●道後駅前の盲天外の句碑について
・道後・放生園 (松山市ホームページ)(2019.5.2現在)
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/shitestukoen/hojyoen.html
[事例作成日:2019年5月2日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 10版)
- 参考資料
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- 盲人たちの自叙伝 2 谷合/侑∥監修 大空社 1997.6
- 伊予の俳人たち 池内/けい吾∥著 愛媛県文化振興財団 2005.3 (192-211)
- 愛媛県史 人物 愛媛県史編さん委員会∥編集 愛媛県 1989 (634)
- 愛媛県史 近代 上 愛媛県史編さん委員会∥編集 愛媛県 1986 (922-927、959)
- 愛媛県史 資料編 文学 愛媛県史編さん委員会∥編集 愛媛県 1982 (1089-1090)
- 愛媛県史 文学 愛媛縣∥編集 愛媛県 1984.3 (864-865)
- 松山市史料集 第12巻 松山市史料集編集委員会編 松山市 1985.4 (959)
- 我が村 森/恒太郎∥著 自治協会出版部 1923
- 世にも稀なる盲目村長と余土村の自治 石田/伝吉∥著 弘明堂書店 1935
- http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/shitestukoen/hojyoen.html (道後・放生園 (松山市ホームページ))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000259860