レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/10/19
- 登録日時
- 2017/10/31 00:30
- 更新日時
- 2017/11/05 14:17
- 管理番号
- 6000036701
- 質問
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解決
井伊直孝が所領内にある寺の前をとおりかかったところ、猫がおいでおいでと招くので、不思議に思って籠を降りて寺に入ったところ、大雨が降ってきて難を逃れた。この寺はもともと弘徳寺という名だったが、このことがあってから直孝が井伊家の菩提寺として、名前を豪徳寺としたという話を聞いたが、本当か。本で確かめたい。
- 回答
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「豪徳寺」や「猫」、「招き猫」、大河ドラマ「おんな城主 直虎」に関わる図書で、このエピソードについて触れているものがある。
- 回答プロセス
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まず井伊直孝のエピソードとして何か出てこないか調べた。
『日本史事典』(角川書店)、『国史大辞典』第1巻で「井伊直孝」の項を見たが、このようなエピソードは書かれていなかった。
『国史大辞典』に井伊直孝が「世田谷の豪徳寺に葬られ」とあったので、『角川日本地名大事典13 東京都』と『日本歴史地名大系13 東京の地名』(平凡社)で調べたところ、『日本歴史地名大系13』のp.807「豪徳寺」に初めは臨済宗に属し弘徳院という名だったが、天正11(1584)年に曹洞宗に転じ、寛永10(1633)年に井伊直孝が大檀那となって井伊家の江戸菩提寺となったとあった。さらに「門前を通りかかった井伊直孝と郎党を招き入れ、落雷の災いから救ったという招き猫の伝説があり、猫観音を祀る招猫殿への参拝者も多い。」という記載もある。
寺の縁起や伝説のほうからも調べてみると、
『社寺縁起伝説辞典』(戎光祥出版)p.180の「豪徳寺」には、当初は弘徳院と称されていたが、直孝の死に伴って戒名の一部をとって「豪徳寺」と改称されたことのみ記載あり。
次に、「招き猫」からも調べてみた。
『民間信仰辞典』p.270「招き猫」によると、「東京世田谷区豪徳寺の招き猫は有名であるが、彦根藩主井伊直孝が猫に請じ入れられ、それが機縁で井伊家の菩提寺になって以来、寺が繁栄」した故事に基づいて商家で店先に置いて商売繁盛を願ったとある。
近くに『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)があったので、「井伊直孝」「豪徳寺」「招き猫」で索引を引くと、「豪徳寺」はp.695「猫塚」の項目に記載があった。
そこには、「『荏原郡誌』によると、江戸大渓山豪徳寺の猫塚は寺の繁栄の機縁を作ってくれた猫に感謝して住職が建てたものであるという。この寺はもと吉良家の菩提寺であったが、吉良家滅亡のため衰えた。その後、井伊直孝が寺の猫に招かれて雨宿りをしたのが縁となって、井伊家の菩提寺となった。これは飼い猫が住職の恩に報いたのだといっている。」なっている。
この他にも「招き猫」や「猫」をキーワードに民俗学など所蔵資料にあたったところ、『人形の誘惑 招き猫からカーネル・サンダースまで』(三省堂)のpp.185-187や『猫の歴史と奇話』(築地書館)のpp.78-80に質問者が探していたエピソードが書かれていた。
『井伊直虎ぴあ』(ぴあMOOK)p.85に「猫によって結ばれた菩提寺との奇縁」というコラムあり。
『おんな城主直虎と井伊家の歴史』(キネマ旬報社)にはこの時の猫の逸話が「ひこにゃん」の由来であると記載がある。
ひこにゃんと豪徳寺の猫については、レファレンス協同データベースで「井伊直孝」に関わるレファレンスを探すと、滋賀県立図書館が登録された、「『ひこにゃん』の登場した年と命名の由来を知りたい。」という事例がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 民間信仰.迷信[俗信] (387)
- 個人伝記 (289)
- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『民間信仰辞典』 桜井 徳太郎/編 東京堂出版 (170)
- 『猫の歴史と奇話』 平岩 米吉/著 築地書館 (78-80)
- 『人形の誘惑』 井上 章一/著 三省堂 (185-189)
- 『井伊直虎』 ぴあ (85)
- 『日本歴史地名大系13』 平凡社 (807)
- キーワード
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- 井伊直孝(イイ ナオタカ)
- 豪徳寺(ゴウトクジ)
- 猫(ネコ)
- 招き猫(マネキネコ)
- ひこにゃん(ヒコニャン)
- 故事(コジ)
- 伝説(デンセツ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000224075