レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年08月04日
- 登録日時
- 2012/08/04 10:41
- 更新日時
- 2012/08/04 10:41
- 管理番号
- With You -0040
- 質問
-
解決
荻野吟子に関する資料を探しています。当時設立した医院の写真などが載っているものはありますか?
- 回答
-
荻野吟子に関する資料としては、以下のものがある。
<図書>
◆「荻野吟子:日本の女医第1号」奈良原春作著 国書刊行会発行 1984.2
◆「荻野吟子抄:新作戯曲 日本公許・女医一号」佐佐木武観著 妻沼町発行 1990.1
◆「荻野吟子抄:日本の女医第一号 栄光と波乱の生涯」奈良原春作著 妻沼町発行 1985.2
◆「荻野吟子」荻野吟子女子顕彰碑建設期成会著 瀬棚町発行 1971
◆「荻野吟子物語:紙芝居」窪塚綾子、中田陽子/絵・文 窪塚綾子発行 2002
◆「女の一生7 人物近代女性史:明治女性の知的情熱」瀬戸内晴美[ほか]編 講談社発行 1981.3
◆「花埋み」渡辺淳一著 河出書房新社発行 1970
◆「松本萬年の女弟子たち:松本荻江・荻野吟子・生沢クノ」長島二三子編 長島二三子発行 1993.11
◆「マンガ荻野吟子抄:日本公許女医第1号」佐佐木武観原作 妻沼町商工会むらおこし事業「荻野吟子マンガ作成実行委員会」発行 1998.6
◆「もののふ 第21号:荻野吟子」埼玉県立熊谷女子高等学校日本史部発行 1993.9
◆「北の命を抱きしめて」北海道女性医師史編纂刊行委員会 ドメス出版発行 2006年
◆「『わたし』を生きる女たち」楠瀬佳子著、三木草子編 世界思想社発行 2004年
◆「明治快女」森まゆみ著 労働俊報社発行 1996年
◆「先駆者たちの肖像」鈴木裕子監修 財団法人東京女性財団編著 ドメス出版発行 1994年
◆「医師という生き方」茨木保著 ペリカン社 2010年
◆「日本の『創造力』」牧野昇・竹内均監修 日本放送協会編集・発行 1992年
<写真>
◆東京女子師範学校卒業写真 明治12(1879)年7月(お茶の水女子大学蔵)
◆医籍登録当時 明治18年(1885) 35歳
◆瀬棚日曜学校当時 明治18年(1885) 35歳
◆瀬棚淑徳会幹部 明治38年(1905)
◆淑徳会会員合同
◆浅田村長夫人、管野せんと3人で
◆姉、野口友子、友子の子供達と一緒
◆山添徳子と二人
◆吟子・森廣・山添徳子・高橋智以と(明治24年11月)
<その他手紙など>
◆手紙数十通
◆西洋品行論写本
◆新聞記事(東京日日新聞・北門新報など)
◆女学雑誌に寄せた論文「本邦女医の由来及其前途」
◆他遺品多数
・吟子の写真は何点か残っているが、設立した医院の写真は存在しないようである。
・資料に「本郷三組町八十四番地に小さな家が空いていたのでそれを借り受け…」「そのうち下谷黒門町二十二番地に幾分ゆったりした家があき…」とあるので、借家での営業であったと思われる。
・また、前を通ってもうっかりするほど地味で小さな医院だった(島本久恵談)ともあるため、写真などを残すほどの建築ではなかったと思われる。看板を出していたかも定かではない。 (渡辺淳一の小説「花埋み」によれば「二間幅の玄関の真上に、《産科婦人科、荻野医院》と墨のあとも鮮やかに大きく横書きに書かれ、それを支えるように戸口の右手に、《女医、荻野吟子》と二尺はあろうかという表札が垂れ下がっている」とあるが、事実の確認はできていない。)
・北海道に渡ってからも、札幌での開業広告記事は残っているが(北門新報明治37年7月3日付)写真などは残っていないようである。
・写真、及びその他遺品に関しては、<埼玉県熊谷市立荻野吟子記念館>および<北海道せたな町図書センター>にて閲覧することができる。
- 回答プロセス
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当センター所蔵の荻野吟子資料を元に、北海道立図書館、せたな町ホームページ、荻野吟子記念館ホームページなどをインターネット検索して資料を収集した。 (検索キーワード「荻野吟子」「女医史」「萩野吟子(類似検索)」など)
また、開院当時の湯島や谷下の街並み写真などが残っていないかも調べてみたが、特定することはできなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 荻野吟子
- 女医
- 日本初
- 第一号
- 照会先
- 寄与者
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- 町田市立中央図書館
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109690