レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/11/01
- 登録日時
- 2012/01/13 02:00
- 更新日時
- 2012/01/13 02:00
- 管理番号
- 1000000422
- 質問
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解決
山口全述氏についての資料があるか。
- 回答
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下記の資料を提供する。
『沖縄県史 教育4』(琉球政府 1966年)
見開きに、山口を含む5名の第一回県費奨学生の集合写真あり。明治17年撮影。
p724‐730 「第一回県費奨学生」
p728に「今帰仁朝蕃の代わりに山口が県費生に選ばれ法律を専攻し、帰郷後裁判所に勤めたが惜しくも夭折した」とある。
『沖縄青年会誌 創刊号』[複製本](沖縄青年会 2002年)
p6-8 山口の論説「法律ハ道徳上の罪人を造る源なる乎」あり。
『琉球育英史』(阿波根 朝松 琉球育英会 1965年)
p15-17 「第一回県費留学生」
明治17年の第一回県費奨学生(5名)の集合写真(上記資料『沖縄県史 教育4』と同じ)及び各奨学生に関する記述あり。
山口氏については、明治17、18年頃に県費を辞退し法科を学び、東京で裁判所に奉職、その後帰県して間もなく物故したとある。
『琉球偉人伝』(仲泊 良夫 大同印刷 1974年)
巻頭p26 第一回県費奨学生の集合写真(上記資料『沖縄県史 教育4』と同じ)掲載。
p199-214 「農民の子謝花昇」
p201 に、「県費奨学生だった今帰仁朝蕃が一年で帰郷したため、その代わりに那覇市出身の山口が派遣された」とある。
『謝花 昇集』(伊佐 眞一 みすず書房 1998年)
巻頭に、明治17年の第一回県費奨学生(上記資料『沖縄県史 教育4』と同じ)、明治23年東京沖縄青年会の集合写真掲載。
p169‐248 「謝花昇年譜」
p209に「1899年(明治32年)6月5日、山口全述、那覇地方裁判所の書記として球陽丸で来沖、同年11月9日死去」とある。
ネット情報として
『琉文21』 http://ryubun21.net/index.php?itemid=827 (2011年10月31日現在)
山口全述の兄、全則の子である國雄についての新報記事(1983年9月14日)を掲載。國雄は当時の東京沖縄県人会会長。山口全述の死亡記事もある。なお、この死亡記事は当館所蔵の下記の資料に掲載されている。
『琉球新報(マイクロ複製本) 明治32年9月-12月』(琉球新報社(那覇) 1889年)
明治32年11月11日2頁に「山口全述氏の死去」として掲載。山口は那覇地方裁判所書記をしており、一昨日の11月9日に突然吐血して死亡した、とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄県史 教育4 琉球政府∥編 国書刊行会 1989.10 K201/052/4 728
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2 沖縄青年会誌 創刊号 沖縄青年会∥編 沖縄青年会 2002.3 K379/O52/ 6-8 -
3 琉球育英史 阿波根 朝松∥編 琉球育英会 1965.6 K373/A21/ 15-17 -
4 琉球偉人伝 仲泊 良夫∥著 大同印刷 1974.12 K28/N31/ 26,199-214 -
5 謝花 昇集 謝花 昇∥[著] 伊佐 真一∥編・解説 みすず書房 1998.6 K08/J15/ 169-248 -
6 琉球新報(マイクロ複写)明治32年9-12月 琉球新報社 1899 K07/R98/
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 当館所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000099677