レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2000/10/31
- 登録日時
- 2005/12/13 02:12
- 更新日時
- 2010/11/25 02:00
- 管理番号
- 新県図-00085
- 質問
-
解決
1.吉田松陰の日記に出てくる五材橋の場所を知りたい。
2.東掘、西堀、五菜堀はいずれも埋め立てられ、五菜堀は東堀通と西堀通をつなぐ道路となっているように思われるが、これは正しいか。また、この地名の場所は今でも残っているか。
- 回答
-
1.吉田松陰の『東北遊日記』に記載のある「五材橋」では出てきませんが、『新潟県新潟区概表』(新潟区/編 小林二郎 1883年)には「五菜橋」という名前で載っており、場所は本町通十一、十二番丁間となっています。
当館で所蔵している江戸期の地図(「新潟図 天保頃」等)では、橋名の記載のあるものは残念ながら見つかりませんでした。
2.東堀、西堀、御祭堀(五菜堀)は、昭和30年代に埋め立てられています。(『新潟市史 通史編5』ほか)
御祭堀(五菜堀)は現在も通称として名前が残っているようですが、『角川日本地名大辞典 15新潟県』以外に確認できる資料としては、『新潟市街図 最新精密地図』(富士波出版編 富士波出版 1965年)に「五菜堀」というバス停留所名がある程度です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 五材橋
- 御祭堀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 簡易な事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000025786