レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/02/27
- 登録日時
- 2014/08/31 00:30
- 更新日時
- 2018/01/13 00:30
- 管理番号
- 6001001733
- 質問
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解決
福岡県福岡市中央区にある春吉(はるよし)という地域の成り立ち、歴史などを詳しく知りたいです。地図があればそれも見たいです。
次の資料は調べました。
1)『角川日本地名大辞典』40 福岡県 (角川書店)
2)『日本歴史地名大系』41 福岡県の地名(平凡社)
最初は人家がなく、寛永16~17年ごろに宅地として足軽をうつしたとあります。『続風土記』『続風土記附録』『新訂黒田家譜』『博多津要録』などが文献にあがっていました。
『続風土記』をネットで調べたところ、福岡にある中村学園の、貝原益軒アーカイブの筑前国続風土記がありました。
「福岡・博多の絵図」として、九州大学のデジタルアーカイブスもありました。
大阪府立図書館所蔵『古地図の中の福岡・博多』(宮崎克則/編 海鳥社)は未見です。
- 回答
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ご質問のありました福岡市中央区にある”春吉”という地域の成り立ち、歴史について下記のとおり回答します。
『福岡県百科事典 下 た~わ』(西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部/編集 西日本新聞社 1982)【371/1563】
貸出不可 p.517
福岡県中央区にある町名で、1~3丁目からなる都心外縁部。中世ごろまでは冷泉津と呼ばれた潟であったようだが、江戸時代後期には春吉1~7番丁、三軒家・六軒家、寺町の町名が見られ城下の一部を構成し、居住する下級武士により博多織等の内職も行われていた。
春吉村は当初市域から除外されたが、住吉町を経て1922年(大正11)に福岡市に編入、戦前までは下町的住宅地域を構成していた。しかし中州と清川の両繁華街をつなぐ回廊として、中州方面から飲食店のスプロールが進み、ホステスなどのアパートが建つ居住環境になった。
南端には市街地再開発事業が行われ、ホテル・ニューオータニやサンセルコ等近代ビルも立地したが柳橋連合市場のような特性あるマーケットも存続している。春吉小学校区は春吉1~3丁目、渡辺通1、3、5丁目、西中州および清川、高砂の一部などが含まれるが、北部は国体道路に面し、にぎわっている。
『福岡県の歴史』(川添昭二/著者代表 光文館 1990)【219.1/8N】 貸出不可 p.272
近世の第一章 第二節 ”都市・農村の成立”
城の総坪数は約八万坪(約二十六ヘクタール)あり、石垣の上には大小四十七の櫓が設けられていた。天守閣は、はじめから築かれなかったといわれているが、1620年(元和6)の細川忠利の書状には、「ふく岡の天守、又家までもくづし申候」とあり、徳川家への恭順の意を示すため一度築いた天守閣を取り崩したとも考えられている。藩主ははじめ本丸に住んでいたが、のちには城内西北の下屋敷に住むようになった。城内には重臣八人の屋敷が設けられ、上級家臣の屋敷は、大手門の濠端からその東の大名町・天神町・因幡町などに設けられた。
中級家臣は大濠の北側の荒戸町を中心に、下級家臣は小姓町・鉄砲町・浪人谷・駿河谷・茶園谷などに住み。春吉・地行などには足軽が置かれた。
(なおこの頁の上部に「福岡城および福岡・博多古図(文化年間)」が掲載されています)
『福岡町名散歩』(井上精三/著 葦書房 1996.4)【291.91/7N】貸出可 p.121
春吉は住吉村の西にあり、昔は住吉村内だったが慶長七年のころ独立して那珂郡春吉村となる。そのころは田畑だけで家はなかったが、寛永十六、七年ごろ、藩は宅地にして足軽を住まわせた。
地名は住吉秋祭りに、ここで市が開かれ人が集まって、秋の穀物を踏みつけるので、麦だけを作り、春の作物がよいので春吉といったと伝えられている。しかし、俗説で信用できないと、貝原益軒もいっている。
那珂川べりで土地が低く、大雨があればすぐ水浸しになるので、延宝六年に土盛りをし、土手を築いた。
一番町から七番町の横筋のほか、土手町、土橋、寺町、六軒屋などの町名があり、寺町には妙徳寺、専立寺、建立寺がある。
明治二十二年に住吉村と合併して住吉村大字春吉となる。このときの春吉の戸数は四二五戸、人口は二五二二人だった。大正十一年五月住吉村の福岡市編入で、春吉も福岡市内となり、南北に縦断する春吉中道りができる。
中州の発展とともに、花柳界の人たちの家も増え、戦後の町名変更で春吉(一-三丁目)、渡辺通(一、三、五丁目)西中州に分かれる。
『古地図の中の福岡・博多:1800年頃の町並み』(宮崎克則/編 海鳥社 2005.12)【219.1/73N】貸出可
p.9に文化9年(1812)写 「福岡城下町・博多・近隣古図」(縦223.2×横266.5㎝)が掲載されていますが、「春吉」を特定できません。
P54、P55に「福博古図」の博多部分と、国土地理院1万分の1地形図「博多」(平成9年発行)を比較できる地図が掲載されています。P54左上部に「冷泉津」の記述があります。
『新修福岡市史 資料編近現代1 維新見聞記』(福岡市史編集委員会/編集 福岡市 2012.3)【219.1/93N】についても調査しましたが、「春吉」関連についての記述は見つかりませんでした。
[事例作成日:2014年2月27日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 福岡県百科事典 下 西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部∥編集 西日本新聞社 (517)
- 福岡県の歴史 川添/昭二∥著者代表 光文館 (272)
- 福岡町名散歩 井上/精三∥著 葦書房 (121)
- 古地図の中の福岡・博多 宮崎/克則∥編 海鳥社 (9,54,55)
- 新修福岡市史 資料編近現代1 福岡市史編集委員会∥編集 福岡市
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000159191