レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/18
- 登録日時
- 2016/12/19 00:30
- 更新日時
- 2017/01/04 13:12
- 管理番号
- 1000000907
- 質問
-
解決
長虹堤(ちょうこうてい)が崇元寺を起点に現在のどの辺りまで続いていたのか知りたい。
- 回答
-
以下の資料を提供した。
①
『沖縄の土木遺産』 (「沖縄の土木遺産」編集委員会編、沖縄建設弘済会、2005.5)
p36-38 「長虹堤の位置の特定」の項に、「長虹堤位置特定図」がある。
②
『沖縄大百科事典 中 ケ~ト』 (沖縄大百科事典刊行事務局編、沖縄タイムス社、1983.5)
p792-793 「長虹堤」に「那覇・久茂地譜嘉地と若狭町新村渠の接点にあたるイベガマから安里橋(崇元寺橋)にいたる約1キロの海中道路。」とある。
③
『那覇読史地図(明治初年の那覇)』 (嘉手納 宗徳作成、沖縄風土記刊行会、[刊年月不詳])
→地図上に「長虹堤」が記録されている。
④
『真和志市誌』 (新垣 清輝著、真和志市役所、1956.2)
p68-69 「(十)牧志村」内の「長虹[隄]と長寿寺」に「安里橋ヨリ伊辺嘉麻(いびがま」二至ル長隄ヲ築キ、石橋ヲ設クルコト七座並ニ安里橋三座、牧志・安里間ニ在リ。」とある。
p70-71 イビガマについては「長虹[堤]とイビガマ」の項に、「那覇潟原交番所の、東角に俗に『チンマーサー』と称する石垣の中に、一本の榕樹が立っている。此処を昔からイビガマーと称して、拝所としているが、・・・」とある。
※項目名の[堤]は、実際はこざとへんに「是」
⑤
『沖縄大百科事典 上 ア~ク』 (沖縄大百科事典刊行事務局編、沖縄タイムス社、1983.5)
p232-233 「イベガマ」の項に、「長虹堤の南端、那覇市旧松山町・松下町・久茂地町の接点にあった御嶽。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 橋梁工学 (515 8版)
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 中 ケ~ト 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/2 p792-793
- 2 沖縄の土木遺産 「沖縄の土木遺産」編集委員会∥編 沖縄建設弘済会 2005.5 K51/O52 p36-38
- 3 那覇読史地図(明治初年の那覇) 嘉手納 宗徳∥作成 沖縄風土記刊行会 [刊年月不詳] K299/KA13
- 4 真和志市誌 新垣 清輝∥著 真和志市役所 1956.2 K23/A63 p68-71
- 5 沖縄大百科事典 上 ア~ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 p232-233
- キーワード
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- 長虹堤
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000203578