レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/08/09
- 登録日時
- 2016/10/08 00:30
- 更新日時
- 2016/10/29 14:37
- 管理番号
- HM-16080902
- 質問
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解決
八王子中野村(今は東中野・別所という)の江戸~明治時代の物産・稼業について調べたい。
- 回答
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中野村に関する記述がある資料には次のようなものがあります。
①『八王子市東部地域 由木の民俗』(2013年 八王子市総合政策部市史編さん室)p.11 中野村、別所村
②『村明細帳集成』(2012年 八王子市総合政策部市史編さん室)p.407-411 「明治三年三月 中野村村差出明細帳」田畑の広さや村の稼業など、一番情報が豊富です。
③『武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り』(2013年 揺籃社)p.35~大栗川で、川魚(ドジョウ、ウナギ)やカワエビがとれたと記述があります。
④『八王子の民俗』(1995年 揺籃社)p.182-183に「江戸時代の八王子では漁が盛んで、多摩川の支流である浅川に沿う上大和田村・元横山村・中野村の三村でも鮎漁などが行われていた。」とあります。
なお、時代が明治から大正、昭和の初めにかけてになりますが、中央館・生涯館所蔵の『多摩のあゆみ 第7号』(1977年 多摩中央信用金庫)p.62-65「多摩地方南部のメカイ」によれば、慶応元年頃からメカイの需要が増して作っても追いつかぬほどで、由木村、多摩村では、全体の七割が竹細工に従事し、メカイ生産が盛んだったと報告があります。昭和2年に東京都の竹製品の生産高が1番高くなり、その頃がピークと見られること、大正6年時点での製作地は、由木村(堀之内、東中野、大塚)を含め十ヵ所であること、p.63「第1表 大正6年におけるメカイ製作者と産額」により、由木村の従業戸数は380戸、出来高318,300個、総額8,957円であることなどがわかります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- B12319129 八王子市東部地域 由木の民俗 八王子市市史編集専門部会民俗部会/編 八王子市総合政策部市史編さん室 2013.3 38
- B12157124 村明細帳集成 八王子市市史編集専門部会近世部会 八王子市総合政策部市史編さん室 2012.1 22
- B12351939 武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り 石井義長/著 揺籃社 2013.9 213.65 978-4-89708-330-8
- B11429503 八王子の民俗 佐藤広/著 揺籃社 1995 382.1365 4-89708-105-X
- B11699591 多摩のあゆみ 第7号 多摩文化資料室/編 多摩中央信用金庫 1977.5 25
- キーワード
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- 由木
- 中野村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000197952