レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年08月05日
- 登録日時
- 2012/08/05 17:33
- 更新日時
- 2012/08/17 16:40
- 管理番号
- 015
- 質問
-
解決
塚口城と塚口御坊(ごぼう)、塚口寺内町について調べたい。
高等学校のオープンキャンパスの際、中学生に解説するため。
- 回答
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神崎から伊丹へと向かう有馬道沿いの在郷町・塚口は、集落の周囲に土塁と環濠を巡らす城郭構造をとる環濠集落であり、中世戦国期には塚口城と呼ばれた。天正年間、織田信長が伊丹有岡城の荒木村重を攻めた際には、荒木方が出城として利用したという。
塚口御坊は、応永16年(1409)に性曇上人がこの地に建立した浄土真宗興正寺別院であり、西摂地域(摂津国西部)の一向一揆の拠点のひとつであった。この塚口御坊を中心に寺内町が形成され、在郷町・塚口をなしていた。
現在、塚口御坊の地には、浄土真宗興正寺派正玄寺がある。同寺と塚口御坊の関係について、『立花志稿』が考察を加えている。
以上をふまえて、中学生向けに地域の史跡を紹介するという趣旨に沿って、説明に使用できるものを中心に文献史料類を紹介した。
1 塚口城、塚口御坊、正玄寺に関する基本文献
2 寺内町の構造復元に関する図版を掲載した文献
3 地籍図・地形図・航空写真等、塚口寺内の立地地形や構造を説明するための史料として
4 その他の参考文献
- 回答プロセス
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1 塚口城、塚口御坊、正玄寺に関する基本文献
◆『尼崎市史』第1巻第4章第3節「戦国時代の尼崎」
p618~620小見出し「塚口城-塚口御坊」
◆『尼崎地域史事典』p209~210、p279 /Web版尼崎地域史事典"apedia"
項目「正玄寺」「塚口御坊」「塚口城」
◆『図説尼崎の歴史』上巻 /Web 版図説尼崎の歴史
中世編第3節2仁木宏「港町・尼崎と塚口寺内町」
塚口寺内の歴史的概要と、近年の発掘成果について解説している。
◆『日本城郭大系』第12巻大阪・兵庫
p347~348「塚口城」
◆『立花志稿』
p119~128「興正寺別院正玄寺」、p229~230「塚口城址」
2 寺内町の構造復元に関する図版を掲載した文献
1の各基本文献参照。とくに『尼崎市史』第1巻は、塚口寺内の構造を周囲の堀まで含めて復元した「塚口城跡概念図」を掲載している(p619)。
これら以外に、次の論文がある。なお1のうち『図説尼崎の歴史』は、この藤田論文掲載の「塚口寺内町復元図」を転載している。
◆藤田実「中世真宗寺内町割の一類型-摂津国塚口寺内を中心に-」
『大阪の歴史』第55号掲載 寺内内部の町割り及び、塚口寺内四町と各木戸口の管理関係について解説している。
3 地籍図・地形図・航空写真等、塚口寺内の立地地形や構造を説明するための史料として
◆「明治12年塚口村地図」(地籍図、塚口・中村末一氏文書)
◆「明治42年測図尼崎市域図」(地形図、『尼崎市史』第3巻付図)
◆昭和23年・28年・48年撮影航空写真
4 その他の参考文献
◆田中實「荒木村重と尼崎―その3―塚口寺内町」
荒木村重研究会『村重』第3号掲載
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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- 『尼崎市史』第1巻 昭和41年発行 (当館請求記号 219/A/ア-1)
- 『尼崎地域史事典』平成8年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
- 『図説尼崎の歴史』上巻 平成19年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
- 『日本城郭大系』第12巻大阪・兵庫 新人物往来社 昭和56年発行 (当館請求記号 521.1//シ-12)
- 寺阪五夫編輯『立花志稿』立花村役場 昭和15年発行 (当館請求記号 219/A/テ)
- 大阪市史編纂所『大阪の歴史』第55号 2000年4月発行
- 荒木村重研究会『村重』第3号 2003年9月発行
- キーワード
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- 兵庫県尼崎市
- 寺内町
- 塚口城
- 塚口御坊
- 正玄寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版 尼崎地域史事典"apedia"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/
Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109719