レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 吹田市立中央図書館 (2310124) | 管理番号 (Control number) | 吹-70-2019-008 | ||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2019年08月01日 | 登録日時 (Registration date) | 2019年08月19日 16時44分 | 更新日時 (Last update) | 2020年02月29日 15時07分 | ||||||
質問 (Question) | 北前船(きたまえぶね)が運んだ昆布が大阪の食文化に与えた影響を知りたい。 | ||||||||||
回答 (Answer) | 下記の資料を提供した。 (1)『大阪食文化大全』(笹井良隆/編著 西日本出版社 2010.11) (2)『大阪昆布の八十年』(大阪昆布商工同業会/編 大阪昆布商工同業会 1981) (3)『昆布を運んだ北前船』(塩照夫/著 北國新聞社 1993.8)大阪府立図書館所蔵。 またインターネット情報として以下のサイトを案内した。 関西広域連合ホームページ> 広域連合>実施事務>広域産業振興局農林水産部>関西の食・食文化>)関西の食文化 - だし文化(最終確認2019.11.4) 上記資料(1)~(3)から、調べたことをまとめると以下になる。 主に北海道で生産された昆布は中世以降に海路で日本海側の敦賀や福井に運ばれた後、政治・経済の中心であった京都や大阪に運ばれていた。江戸時代になって西回り航路が確立されると、多くの昆布が北前船で産地から直接大阪に集められ全国に出荷されるようになった。そのため昆布の利用は関西で発達し、現在でも大阪の名物とされている。 昆布はそのままか、火であぶって食べることが多かったが、中世末期ごろには「だし」として利用されていた。昆布は精進料理での需要が高かったので、昆布だしも寺院が集中する京都・大阪を中心に発展を遂げていき、江戸時代には庶民にも広まったとされている。 | ||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 「昆布」「だし」をキーワードに当館検索機で検索し、書誌の内容から「食文化」「歴史」などの記載のある資料を確認した。先祖が北前船に関わる仕事をしていたとの事で、北前船が運んだ昆布が大阪の食文化に与えた影響なども調べていると聞き、北前船と昆布の関わりについて書かれた資料も紹介した。 | ||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||
登録番号 (Registration number) | 1000260311 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |