レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年6月25日
- 登録日時
- 2014/07/12 09:24
- 更新日時
- 2014/12/26 10:45
- 管理番号
- 中央-1-00779
- 質問
-
解決
さいたま市の火葬場は、明治から昭和にかけて、①北浦和→②駒場→③桜区(2014年現在)と場所を移しているが、かつての火葬場①と②に関する資料はあるか。
- 回答
-
以下の資料を紹介した。
・『浦和市制二十年史』浦和市/編纂 浦和市 1955
p304 市営火葬場:位置及び敷地 浦和市大字駒場一五七 一、二〇九、五坪
一、本館 一棟 六四、〇坪
一、事務所 一棟 八、〇坪
一、待合所 一棟 二六、五坪
一、倉庫 一棟 一七、五坪
と書いてあり、施設についての説明や、外観の写真もある。
・『浦和市史 通史編3』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990
p570~ 火葬場と用達株式会社
浦和斎場はS55(1980)年12月に下大久保に移り(略)それまでは、明治四十年七月に(略)共同火葬場が浦和町字砂原(現北浦和公園の地)に設けられ、(略)大正九年(1920)10月に駒場二丁目の火葬場があった。
との記述あり。
p570 旧市営火葬場(昭和56年撮影)の写真あり。
・『浦和市史 第4巻[1] 近代史料編』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1975
p686 聯合火葬場設立決議
・『浦和市史 第4巻[2] 近代史料編』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1979
p533 火葬場経営会社と塵芥焼却所の設置
・『図説浦和のあゆみ』 浦和市総務部行政資料室/編 浦和市 1993
p194 火葬場の変遷の記述と、取り壊し前の駒場の火葬場の写真(昭和56年)あり。
・『わがまち浦和』 浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1982
p160 当初、火葬場は(略)大正九年十月埼玉用達株式会社が設立され駒場運動公園北側の緑地のところに火葬場を設けた。
との記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213)
- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000155987