レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年03月08日
- 登録日時
- 2021/07/19 14:34
- 更新日時
- 2021/08/18 19:56
- 管理番号
- 中央-1-0021486
- 質問
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解決
針ケ谷村入会(地)について記された図書や史料について知りたい。
特に現在の地図との対比での場所がどこなのかを知りたい。
- 回答
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以下の資料に、針ヶ谷村絵図の解説があり、(2)の資料には入会(地)に関する記述あり。
ただし、場所の詳細や、現在の地図との対比についてははっきりとは分からなかった。
(1)「うらわ文化」(第129号 平成29年4月10日発行)浦和市郷土文化会/編 浦和市郷土文化会
p8「武笠家文書に見られる針ヶ谷村絵図について」野中味惠子
約1ページ半に渡り、針ヶ谷村絵図の解説が書かれている。針ヶ谷村絵図(個人蔵 さいたま市立浦和博物館寄託)と、絵図を著者が書き起こした略図の掲載あり。
針ヶ谷村絵図の説明として「おおまかには現在の北浦和・針ヶ谷地区の範囲で、東を上にして中山道の東西に広がる地域が描かれている。下の方には飛び地や大戸村と針ヶ谷村新田もある。」などと書かれている。
(2)「緑の歴史」(第13号 平成30年2月1日発行) さいたま市緑区歴史の会/発行
p1~9「武笠家村絵図調査報告」に、質問に関連する絵図の解説あり。いずれも文章での解説のみで、絵図の写真は掲載されていない。
p6「(15)針ヶ谷村絵図(武笠家村絵図44)」
13行に渡り、針ヶ谷村絵図の解説あり。「浦和宿、上木崎村、大戸村、領家村に囲まれている。入地(領家村・白幡村)がある代わりに飛地(大戸村)もある。」などと書かれている。
p7「(20)大戸村(武笠家村絵図58)」
25行に渡り、大戸村絵図の解説あり。「大戸村は、現在の中央区大戸1~6丁目にほぼ当たる。絵図は北を下に描いており、田畑、道、用悪水などを彩色している。周りを鹿手袋村新田、別所村、浦和(宿)、白幡新田、中里村新田、落合村新田、針ヶ谷村新田・西堀村新田などが囲んでいる。また針ヶ谷村入会地と浦和(宿)入会地がある。3本の川が描かれている。西側に悪水とあるのは現在の一級河川鴻沼川で、井澤弥惣兵衛為永による享保14年(1729)の鴻沼新田開発でできた鴻沼排水路になる。それに並行して東側に流れている川は、高沼用水路の東縁である(他村になるが、悪水を挟んで対岸に高沼用水路の西縁がある)。この間に鴻沼新田があり大戸村分は大戸村新田とある。接して本田とあるから、新田開発前にも鴻沼の縁に水田があったことがわかる。絵図の東に蛇行して描かれている川筋は、現在は常磐緑道にあたる。川には橋が明示されている。」などと書かれている。
- 回答プロセス
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事前の情報として、
・江戸時代の大戸村絵図で存在が確認できる。
・高沼用水東縁の東西にまたがって存在した(一部、東縁の東側に単独で描かれている箇所も有)。
・大戸村砂原新田ではない。
・与野市史については確認済み
とのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 針ケ谷村
- 入会地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000301930