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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
横浜市中央図書館 (2210008)管理番号
(Control number)
横浜市中央2591
事例作成日
(Creation date)
2018年12月20日登録日時
(Registration date)
2020年09月26日 00時30分更新日時
(Last update)
2020年09月26日 10時43分
質問
(Question)
横浜にあった平沼九兵衛本宅跡について調べたい。
回答
(Answer)
1 平沼九兵衛宅について

  下記の(1)~(4)の資料によると平沼家は茨城県の出身で、明暦年間(1655~1658)に
 保土ケ谷宿に移り住み、七代目まで代々九兵衛を名乗りました。七代目九兵衛が、
 文久3(1863)年に平沼新田に移住しているため、平沼新田移住の前と後で平沼
 久兵衛宅に関連した記載がある資料をご紹介します。

 (1)『開港五十年紀念横浜成功名誉鑑』 森田忠吉/編 横浜商况新報社 1910.7
   p.107 平沼町の開拓と平沼亮三君
   平沼九兵衛氏について、「其先は常陸鹿島の祠官、明暦年間保土ケ谷に移転
   し、世々醸造及造麹を以て業とせしが、五世九兵衛氏天保十年の頃、沼地
   十餘萬坪を埋立て、我姓を以て新田に名く、其子九兵衛氏年二十、父の箕裘
   を襲ぎ断然志を決して新田に移住し」とあります。

 (2) 『横浜の新田と埋立 横浜郷土双書』 内田四方蔵/編 横浜市図書館 1972
   p.21 平沼家は常陸(茨城県)の出身で、明暦年間(1655~1658)に保土ケ谷宿
   に移り住んだこと、七代九兵衛は弘化元(1844)年保土ケ谷宿に生まれ、
   文久3(1863)年 二十歳のとき平沼新田に移住したことが書かれています。

 (3) 『明治の「横浜の人」』 川口正英/著 ブックス二宮 1985.1
   p.91 文久3(1863)年平沼新田に移住したことが書かれています。

 (4) 『横浜貿易新報 明治40年3月』 横浜貿易新報社/〔編〕
   横浜貿易新報社 1907.3
   3月5日 p.2「平沼九兵衛氏の逝去」に略歴が書かれており、
   保土ケ谷に生まれ、20代で平沼新田に移ったことが分かります。

2 保土ケ谷宿の平沼九兵衛宅
 (七代目九兵衛が文久3(1863)年に平沼新田に移住するまで)
   
 (1) 『保土ケ谷区史』 保土ケ谷区史編集部会/編 横浜市保土ケ谷
   区制70周年記念事業実行委員会 1997.10
   p.112 「元治の保土ケ谷宿町並」
   下段左から8番目に「酒・糀屋九兵ヱ(平沼家)」があります。
   保土ケ谷宿本陣の近くにあります。

 (2) 『保土ケ谷区郷土史 上』 保土ケ谷区郷土史刊行委員部/編
   保土ケ谷区郷土史刊行委員部 1938.3
   p.198 「一酒造高五拾石 酒造稼人 百姓九兵衛」
   p.1018 「岩間町の百姓九兵衛が酒造高五十石に及んで(後略)」
   の記載があります。

 (3) 『横浜西区史 区制50周年記念』 横浜西区史編集委員会/編
   横浜西区史刊行委員会 1995.3
   p.102 平沼家は「保土ケ谷宿に移り住んで、代々九兵衛を名乗り、
  酒造業を営んでいた。(中略)家は東海道線の保土ケ谷東海道踏切
  (いわゆる大踏切)の位置にあったため、明治20年の東海道線工事に
  よって移転を余儀なくされ、多くの文書・記録が失われた」とあり
  ます。

 (4) 『横浜市土地宝典 保土ヶ谷区之部』
   岩間上町町並に、東海道線が通っている箇所があり、その部分の地番
  の所有者等一覧を見ると平沼九兵衛の息子の平沼亮三の名前が見られます。
   この資料は、下記のURLから見ることができます。(最終確認日2020年8月27日)

   神奈川デジタルアーカイブ
    http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/digital_archives/houten.htm

3 平沼新田移住後の平沼九兵衛宅

 (1) 『横浜市開拓功労者土木埋立事業関係顕彰状並事績略列伝』
   横浜市役所/編 横浜市役所 [1942.8]
   p.7~8 平沼九兵衛について記載があります。
   事績概要には、「名ヲ平沼新田ト号シタリ。今の平沼町及西平沼町の地
   是レナリ。(中略)子七代九兵衛(中略)保土ケ谷ヨリ平沼新田ニ移住、」
   とあります。

 (2) 『ものがたり西区の今昔』 西区の今昔・編集委員会/編 西区観光協会 1973
   p.247 「明治30年頃の平沼新田の図」(高儀茂八氏の記憶を元にして作成)
   の中に平沼と書かれた家があります。
   p.262 平沼邸の様子が書かれています。
   p.263 「西平沼町4 古河電工敷地内(元平沼邸)の大くすの木」
   の写真があります。

 (3) 『創業100年史』 日本経営史研究所/編集 古河電気工業 1991.9
   古河電気工業の西平沼の土地買収について以下のページに書かれて
  いますが、いずれも平沼邸について触れられていません。
   p.92 明治44年ケーブル工場設立のため西戸部、西平沼、尾張屋の
  3町にわたる用地を買収
   p.179 大正13年工場移転に対応して西平沼にあった阿部製油所の
  土地を買収
   また、p.498に「拡張余地のなくなった横電の全景」という写真が
  あり、西平沼町一帯が写っています。

 (4) 『図説明治期の横浜市会議員選挙総覧』 浅田康夫/著 神奈川新報 2001.9
   p.54 平沼九兵衛の住所は「西平沼町75」となっています。

 (5) 『横浜社会辞彙』 日比野重郎/編輯 横浜通信社 1917.5
   平沼九兵衛の息子、亮三の住所は「西平沼町75」となっています。

 (6) 『スポーツ生活六十年 伝記叢書』 平沼亮三/著 大空社 1994.11
   平沼亮三の自伝には、生まれた家について書かれた部分があります。
   p.11 「私は明治十二年の二月横浜の平沼町で生れた。場所は昔の
  省線平沼駅の近く現在、私の店のあるところ」
   p.12 「私が生まれたころの平沼町といふのはその当時は平沼新田と
  称した漁村で、周りが野広い処だった」

 (7) 『最新調査横浜明細地図』 鈴木金輔編 斎藤国造 1911
   帷子川にかかる平岡橋の脇あたりに、「平沼邸」が記載されています。
   こちらの資料は、下記URLで閲覧できます。(最終確認日2020年8月27日)
  
   横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
    https://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/DTRP0320?SHIRYO_ID=12172

 (8) 『最近調査番地記入横浜大地図』 横浜測量協会/編 勉強堂 1911.9
   西平沼75に「平沼氏邸」が記載されています。
   こちらの資料は、下記URLで閲覧できます。(最終確認日2020年8月27日)

   横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
    https://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/DTRP0320?SHIRYO_ID=12123

 (9)『西区明細地図 昭和31年度版』 経済地図社/編 経済地図社 1956.12
   p.69 帷子川にかかる平岡橋の脇あたりに、平沼亮三の名前が見られるほか、
   古河電気関連の施設が見られます。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
関東地方  (213 8版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000287482解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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